3月12日に富士スピードウェイ50周年記念イベントとして行われた「富士ワンダーランドフェス」
オーラスはいよいよ1980~1990年代、レースファンの心を鷲づかみにしたカテゴリー。往年の名ドライバー達が当時のマシンをドライブする本イベントのクライマックスです。

1000馬力級のモンスターマシン、グループC

画像: このシーンを見に来たのだ!満員のグランドスタンドがそれを物語る

このシーンを見に来たのだ!満員のグランドスタンドがそれを物語る

1982年にFIAによって制定されたグループC規定。同年より富士スピードウェイではWECイン・ジャパンが開催されCカー人気に火が着きました。国内ではJSPCとしてシリーズ化、そしてその後メーカーが威信をかけル・マン24時間制覇に向けたマシンの開発に乗り出すこととなったのです。

画像: ニッサン・シルビア・ターボC・ニチラ(1983年) マーチ83GにLZ20B型エンジンを搭載、星野一義がドライブ

ニッサン・シルビア・ターボC・ニチラ(1983年) マーチ83GにLZ20B型エンジンを搭載、星野一義がドライブ

画像: renoma84C(1984年) ムーンクラフト開発のMCSグッピー、ドライバーは当時と同じく戸谷千代三

renoma84C(1984年) ムーンクラフト開発のMCSグッピー、ドライバーは当時と同じく戸谷千代三

画像: レナウン・チャージ・マツダ787B(1991年) ル・マン24hを制したマシンのJSPC仕様、寺田陽次郎ドライブ

レナウン・チャージ・マツダ787B(1991年) ル・マン24hを制したマシンのJSPC仕様、寺田陽次郎ドライブ

画像: トヨタTOM'S 85CL(1985年) トヨタがル・マンに初参戦したマシン、今回ナント中嶋悟が!

トヨタTOM'S 85CL(1985年) トヨタがル・マンに初参戦したマシン、今回ナント中嶋悟が!

画像: トヨタTS010(1992年) 1992年ル・マンで2位を獲得、安心してください、関谷サンはコチラです

トヨタTS010(1992年) 1992年ル・マンで2位を獲得、安心してください、関谷サンはコチラです

画像: ニッサンR92CP(1992年) JSPC最後の1992年に6戦全勝、今でもイケメン鈴木利男がドライブ

ニッサンR92CP(1992年) JSPC最後の1992年に6戦全勝、今でもイケメン鈴木利男がドライブ

画像: タイサン・ポルシェ962(1994年) JSPC終了後962CをGT選手権車両として改造、乗るのは我らがクニさん

タイサン・ポルシェ962(1994年) JSPC終了後962CをGT選手権車両として改造、乗るのは我らがクニさん

思い入れ深いツーリングカー

画像: 時空を超えたマシンによる長谷見昌弘vs星野一義、対決とはいかなくとも夢の競演

時空を超えたマシンによる長谷見昌弘vs星野一義、対決とはいかなくとも夢の競演

スーパーシルエットからグループA、そしてJTCCと規定を変えながらも人気を博したツーリングカーレース。市販車両ベースであることから多くのレースファンに支持されました。その最高峰であるインターTECは数々のドラマを生み出したのです。

画像: トミカ・スカイラインRSターボ(1982年) 長谷見昌弘、夕陽の引退セレモニーもこのマシンでした

トミカ・スカイラインRSターボ(1982年) 長谷見昌弘、夕陽の引退セレモニーもこのマシンでした

画像: カルソニック・スカイライン(1990年) 星野一義により翼をさずけられた、空飛ぶGT-R

カルソニック・スカイライン(1990年) 星野一義により翼をさずけられた、空飛ぶGT-R

画像: カストロール無限アコード(1996年) 1996年JTCCチャンピオンマシンを山本尚貴がドライブ

カストロール無限アコード(1996年) 1996年JTCCチャンピオンマシンを山本尚貴がドライブ

さすがにこの辺りになると、数十年前の少し昔を思い出し、ナンカ目頭が熱くなってる自分がいたりします。富士スピードウェイ50周年の歴史の一部分を、自身の青春の思い出に重ねあわせている方も多いのではないでしょうか。
今回の「富士ワンダーランドフェス」、とても感慨深いイベントでした。メーカーの枠を越えこれだけのマシンを用意していただいた関係各方面へ、この場を借りて御礼申し上げます。

(PHOTO:井上雅行)

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