20世紀末、経営危機に陥っていた日産自動車は次期型フェアレディZの開発を断念。1996年には北米での販売を打ち切った。ところが北米日産は独自の企画として「Zコンセプト」を制作し、1999年1月のデトロイトショーに出品。これがきっかけのひとつとなり、フェアレディZは2002年に復活を遂げたのだった。
画像: 当時は北米撤退説まで流れていた。不安に駆られる北米のディーラーたちを奮起させたい、「Zコンセプト」にはそんな想いも込められていたという。

当時は北米撤退説まで流れていた。不安に駆られる北米のディーラーたちを奮起させたい、「Zコンセプト」にはそんな想いも込められていたという。

Zとは、日本人にとってスカイラインのようなもの…そんな北米日産の関係者や現地オーナーズクラブの熱意が生み出したのが「Zコンセプト」だった。サンディエゴにあるNDI(デザインセンター)が描いたデザインを元に、北米日産が1998年に独自に制作したものである。実は、このクルマが制作された時点では、日本の日産本社にZ復活の計画はなかった。だが、その一方では、日産本社の有志が次世代スポーツカーの先行開発をコツコツと続けていたのである。つまり、日米で同時進行的に「Z復活」に向けて動き始めていたのだ。

画像: コンセプトカーには4気筒エンジンが搭載されていたが、「Zは6気筒でなければならない」という声が圧倒的だった。V6のパッケージングは自ずと決まった。

コンセプトカーには4気筒エンジンが搭載されていたが、「Zは6気筒でなければならない」という声が圧倒的だった。V6のパッケージングは自ずと決まった。

ともあれ、デトロイトショーに出品された「Zコンセプト」はたいへんな評判となり、同年4月のニューヨークショーでも再び展示された。「日産復活の象徴として、Zカーは絶対に必要だ」。関係者はさまざまなアプローチで、日産本社に働きかけた。そして1999年10月、日産リバイバルプランの発表の影で、新型Z=Z33の開発が正式に承認されたのだ。Z32型は2000年8月まで生産されていたから、それよりも先に新型の開発は承認されていたことになる。日参する関係者の熱意に打たれたゴーン社長の鶴の一声だったという。

実際に開発が始まると、すでに先行開発のかなりの部分を終えていたため「半分以上終わっていた」と当時を知る関係者は語る。ともあれ冒頭紹介した「Zコンセプト」には、当時の北米日産の必死の思いが込められたことは間違いない。悲願達成をして復活した「Z」は、あと2年で生誕50周年を迎える。

画像: 今年のニューヨークショーでは、2019年の生誕50周年に先立って「ヘリテッジエディション」が発表された。果たして次のZはどうなるのか、ファンならずとも気になる!

今年のニューヨークショーでは、2019年の生誕50周年に先立って「ヘリテッジエディション」が発表された。果たして次のZはどうなるのか、ファンならずとも気になる!

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