トヨタのGT魂を継承してきた、主要なレーシングマシンたちを紹介しよう。
第3回は、主に世界のモータースポーツシーンで活躍したマシンたちだ。

WRC、WECと世界二冠、北米でも頂点

戦後、トヨタの海外モータースポーツは、1975年のTTE(チーム・トヨタ・ヨーロッパ)によるラリー活動で本格化する。サファリで実績を残し90年代にセリカGT-FourでWRCタイトルを獲得した。日本メーカー初の世界タイトル獲得となった。(F1の冠タイトルはドライバーとコンストラクターなので、ホンダはタイトルを獲得していない)
レース活動は、ラリーより開始が遅く、純トヨタの体制は89年、89C-Vによるル・マン参戦が最初だった。その後、継続参戦ではなかったが、プライベーターも含めル・マンで3度2位に入るという善戦(惜敗?)を見せた。
2000年代に入ると、TTEの後継組織となるTMGを介して02年から09年まで8シーズンF1に参戦した。最高位は2位にとどまったが、この活動を基盤に12年からHVプロトでWECに参戦。14年にWECタイトルを獲得した。これも日本メーカー初の快挙だった。しかし、ル・マンはまたもや2位が2回。
一方、トヨタにとって大市場となる北米では、インディカーシリーズ、NASCARシリーズの両トップカテゴリーに参戦。インディカーは03年、NASCARは15年にドライバーチャンピオンを獲得した。(解説:大内明彦)

画像: ST165 セリカ GT-Four(1988年) Photo:ワールド・ラリー・プレス

ST165 セリカ GT-Four(1988年) Photo:ワールド・ラリー・プレス

トヨタの海外活動はオベ・アンダーソンとのラリー活動とともに始まった。グループBセリカでサファリを制覇するとグループA時代を迎えセリカGT-Fourによって活動全盛期を迎える。ドライバータイトル4回、メイクスタイトル2回を獲得。

画像: トヨタ TS020(1998年)

トヨタ TS020(1998年)

GT1規定下のル・マン24時間にトヨタGT-ONE、TS020を持ち込んだトヨタ。1998年、1999年の2年、全力を傾注して臨み、99年にナンバー3カー扱いだった日本組(片山右京/鈴木利男/土屋圭市)が激走の末2位に食い込んだ。

画像: トヨタ TF102(2002年)

トヨタ TF102(2002年)

1980年代にはロータスとのジョイントプロジェクトも検討されたトヨタのF1プロジェクトだが、具体化したのは2002年。TTE(後にTMG)を拠点にトヨタとして参戦。企業力を傾注しての参戦体制だったが、残念ながら2位が最高位だった。

画像: インディカー(2002年)

インディカー(2002年)

トヨタはアメリカの2大レース、インディカーシリーズとNASCARのいずれにも参戦。そしてどちらもタイトル(2003年、2015年)を獲得した。アメリカの伝統色が強いレースだが、地元密着型の活動としたことで受け容れられ成功した。

画像: トヨタ TS040 HYBRID(2014年)

トヨタ TS040 HYBRID(2014年)

2014年、WEC参戦3シーズン目を迎えたトヨタは6MJ(メガジュール)枠のTS040を擁してメイクス、ドライバーの両タイトルを獲得。圧倒的な強さを誇ったが、ル・マンだけは首位を走りながら突然のストップと運に見離されていた。

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