輸入車、国産車の新車情報誌をはじめ、軽専門、車種別、ドレスアップ、チューニング誌…と、1カ月で数え切れないくらい多くの雑誌が出版されるクルマ専門誌。そんなクルマ誌ってどんな歴史があるのか。自身も編集長を含めクルマ誌の編集歴が長いライター、遠藤一満氏に聞いた。

その歴史は戦前にまでさかのぼる

日本の自動車専門誌の歴史は、1925年に創刊され、戦中一時休刊したが戦後まもない1947年に復刊した「モーターファン」(1996年休刊、2017年復活。三栄書房)に始まる。

次いで1955年に「モーターマガジン」(Motor Magazine。モーターマガジン社)が誕生。1959年には「月刊自家用車」(内外出版社)が創刊され、この3雑誌が自動車誌御三家として親しまれてきた。

創刊当初はどれも新車紹介と技術解説が中心で娯楽性はあまりなく、輸入車に比べ国産車はまだまだ…といった記事が多かった。そんな中、1950年代当時、学生時代からモーターマガジン誌に寄稿していた小林彰太郎氏が、クルマに乗った印象記のスタイルを確立。今は誰でも使っているロードインプレッション、という言葉も小林氏の発案と言われる。

1962年に「カーグラフィック」創刊

その小林氏は1962年に「カーグラフィック」(CAR GRAPHIC。株式会社カーグラフィック)を創刊。誌名どおり写真と試乗記を中心にしたグラビア誌で、活版ページ(ざら紙にモノクロ印刷)が中心だった御三家とは一線を画したスタイルで注目された。1964年には「ドライバー」(driver。八重洲出版)が創刊している。

70年代にB5版の雑誌が相次いで登場

B5版の中綴じ誌は「カートップ」(交通タイムス社)が1968年創刊。71年に「ホリデーオート」、77年に「ベストカーガイド」(現「ベストカー」。講談社BC)が創刊され、これが現在にまで続く新御三家となっている。

1969年にはAJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)が創設され、筆者陣も高岸 清氏、池田英三氏、星島 浩氏など錚々たるメンバーに加え、若かりし頃の日下部保雄氏、石川芳雄氏、瀬在仁志氏などが筆者として顔を揃えた時代だった。


こうした群雄割拠から80年代に「モーターマガジン」が頭ひとつリードしたのは、70年代中盤に始まったサーキットの狼=スーパーカーに多くのスペースを割いたから。

一方「ホリデーオート」は、1971年に始まった富士GC(グラチャン)レース観戦に集まる改造車に目をつけた。読者投稿による連載企画「オーマイ街道レーサー」が大ヒットとなり、ホリデー=改造車のバイブルとして圧倒的な人気を得る。タレントを使った表紙、読者投稿の「ギャルコン」との3本柱で、他を寄せ付けぬ人気雑誌として一時代を築いたのである。

画像: 1989年1月10日号「ホリデーオート」の記事。人気企画「0h!My街道レーサー」は富士GCのレース観戦に集まる改造車取材から始まった。

1989年1月10日号「ホリデーオート」の記事。人気企画「0h!My街道レーサー」は富士GCのレース観戦に集まる改造車取材から始まった。

画像: 1971年に創刊された「ホリデーオート」8月創刊号。当時は120円だった。

1971年に創刊された「ホリデーオート」8月創刊号。当時は120円だった。

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