普段は当たり前のように運転しているのだが、よくよく考えてみると、世界の多くの国でクルマは右側を通行し、左ハンドルばかり。なのに、日本では左側通行、右ハンドルなんだろうかと思ったことはないだろうか? モータージャーナリストの片岡英明氏に聞いてみた。

日本が左側通行の理由は、イギリスを手本に近代化したから

ご存じのように、日本の道路を自動車で走るときは、左側通行が基本となっている。

実は、江戸時代には早くも左側通行のルールが定着していた。当時は名の知れた街道であっても道幅は狭い。街中の路地ともなれば、驚くほど道が狭いのである。

当時は武士の時代で、ほとんどの侍は右利きだから左の腰に刀を差していた。だから右側通行だと、すれ違うときに対向者と刀のさやが当たる可能性が高くなる。鞘当てが原因で刃傷沙汰になることもあるだろう。そこでお互いの安全のために左側通行になっていった。

明治時代になってからは、新政府を支援したイギリスを手本として日本の近代化が進んでいる。金融や鉄道、通信などにイギリス式を取り入れた。交通法や道路整備に関してもイギリス式としたから左側通行になったのだろう。江戸時代から日本人が慣れ親しんでいるから都合がよかったのだと思われる。

戦前はヨーロッパも右ハンドル車が一般的だった

現代において右ハンドル車が走っているのは日本やイギリスなど左側通行の国くらいだが、過去に遡るとそんなことはなかった。右ハンドル車は1920年代までアメリカで多かったし、ヨーロッパにおいても一般的だったのだ。豪華リムジンのピアスアロー(アメリカ)やブガッティ(フランス)、アルファロメオ(イタリア)などは右ハンドル車だった。

自動車史の初期、クルマのブレーキ操作方法は今と違って定まっておらず、手で操作するものも多かった。だから右利きの人が右腕で操作しやすいように、ボディの右外側にブレーキ操作装置を配置していたのである。だから必然的にハンドルも右になったわけだ。

画像: 1910年製のアルファロメオ24HP。現存するこのクルマを見ると右ハンドルだったことがわかる。

1910年製のアルファロメオ24HP。現存するこのクルマを見ると右ハンドルだったことがわかる。

画像: 1910年製アルファロメオ24HP。当時は欧州車でも右ハンドルが一般的だった。

1910年製アルファロメオ24HP。当時は欧州車でも右ハンドルが一般的だった。

沖縄は1978年7月30日に、一夜にして右→左側通行に変更

第二次世界大戦中、日本の統治下にあった朝鮮や台湾は、終戦までは日本と同じように、クルマも人も左側通行が基本。が、敗戦により、日本に代わってアメリカや中国国民軍が統治することになる。

朝鮮半島にはアメリカ軍が進駐し、民主化に乗り出した。これを機に左側通行を右側通行に変えたのだ。台湾も、戦後処理で中国の国民軍が治めるようになると、中国と同じ右側通行に戻されている。

沖縄は日本の領土だが,戦後の20年ほどはアメリカの施政権下にあった。だからアメリカの法制を敷き、右側通行の交通法規を採用している。これが改められるのは返還された6年後の1978年7月30日だ。一夜にして左側通行に変えられた。

画像: 青色が自動車が「左側通行」、赤色が自動車が「右側通行」の国。台湾や韓国など、戦前は日本の統治下にあった国々も、戦後に右側通行になっている。

青色が自動車が「左側通行」、赤色が自動車が「右側通行」の国。台湾や韓国など、戦前は日本の統治下にあった国々も、戦後に右側通行になっている。

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