国産メーカーが本格的なスポーツカーを作り始めた 1960年代から、昭和最後の年となった 1988年までの国産スポーツカーを振り返る短期連載。今回はプリンス・スカイラインスポーツをご紹介します。

プリンス・スカイラインスポーツは、ミケロッティの手によりデザインされた、最初の国産車と言われています。ベースとなったクルマはグロリアで、エンジンもグロリアと同じ、GB4型(直4・1862cc)が搭載されていました。しかし、吸気系が変更されており、最高出力は94psに増強されていました。前輪はウイッシュボーン/コイル独立懸架、後輪はドディオン・アクスルを採用。先述のエンジンと接地性に優れた足まわりは、当時の日本車の最速となる 150㎞/hの最高速度を支える原動力となりました。

価格はクーペ(5人乗り)は 183万円、コンバーチブル(4人乗り)は 195万円。これはクラウンの 2倍、ブルーバードの 3倍という価格で、とても庶民の手が届くものではありませんでした。このクルマは、登場からわずか2年後にひっそりと姿を消します。生産台数はわずか60数台と、人気があり売れたスポーツカーではありませんでした。ですが、その優れた内外装のデザインはその後の国産スポーツカーに大きな影響を与えたことは間違いありません。

プリンス・スカイラインスポーツ(クーペ)主要諸元

■全長4650×全幅1695×全高1385㎜(コンバーチブルの全高は1410mm)
■ホイールベース:2535㎜
■車両重量:1350kg(コンバーチブルは1365kg)
■トランスミッション:4速MT
■サスペンション形式:前=ダブルウイッシュボーン(コイル)/後=ドディオン・アクスル(リーフ)
■エンジン:GB4・直4OHV 1862㏄

画像: コンバーチブル(左)とクーペ(右)のツーショット。コンバーチブルの価格は195万円で、現在の貨幣価値で換算すると 2000万円ほど。かなり高価なクルマだった。

コンバーチブル(左)とクーペ(右)のツーショット。コンバーチブルの価格は195万円で、現在の貨幣価値で換算すると 2000万円ほど。かなり高価なクルマだった。

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