国産メーカーが本格的なスポーツカーを作り始めた1960年代から、昭和最後の年となった1988年までの国産スポーツカーを振り返る短期連載。今回はトヨタスポーツ800 をご紹介します。
画像: トヨタ・スポーツ800の原型となったパブリカ・スポーツ。ドアではなく、スライド式のキャノピーを備えた個性的なモデルだった。

トヨタ・スポーツ800の原型となったパブリカ・スポーツ。ドアではなく、スライド式のキャノピーを備えた個性的なモデルだった。

トヨタスポーツ800の原型は、1962年の第9回東京モーターショーに出品された「パブリカ・スポーツ」の名で出品されたコンセプトカーでした。後方にスライドするキャノピー(天蓋)が特徴でしたが、生産型では雨天の際の不便さ、乗降時の利便性(特に女性には不便)を考慮して通常のドアに改められています。しかし 1965年(昭和40年)3月に登場した「トヨタスポーツ800」には、簡素なデザインのフロントグリル、オーバーライダーだけのバンパー、無駄のない曲面構成のボディなど、デザイナーの主張はそっくり引き継がれていました。

このボディにはふたつの大きな特徴がありました。ひとつはそのサイドウインドーに、曲面ガラスを使用したことです。これは前面投影面積の減少に大きく寄与していました。ふたつめは、有名なポルシェ911の “タルガ・トップ” の登場よりも約 1年早く、着脱可能のルーフ・パネルを採用したことです。これらの特徴を備えた航空機を思わせるエアロダイナミック・ボディの設計には、入念な風洞実験が行われました。それにより、前面投影面積は 1.33㎡と、ポルシェ904の 1.32㎡とほぼ同一となりました。また空気抵抗係数Cd値は 0.30をやや上まわる、優れた数字を示しています。

トヨタスポーツ800は、量産車パブリカのコンポーネンツ(構成部品)を多用して安価につくられていますが、エンジンにもこの手法が用いられました。2U型はパブリカの空冷水平対向 2気筒OHV型(U型)に手を加えたものでした。ボアは 5mm延長してありますが、ストロークは 73mmと同じで、排気量は 697ccから 790ccへとアップされています。気化器もベンチュリー径を増大し、気筒当り1個ずつ取りつけてありました。またクランクシャフトまわりも強化され、圧縮比は 8から 9に高められています。4速ギアボックスを介し 0〜400m加速は 18.4秒、最高速は 155km/hを実現。これは当時の代表的なライト・ウエイト・スポーツカー、オースチン・ヒーレー・スプライトのそれよりも 10km/h高い数値でした。

画像: エンジンはベースが経済車パブリカ用なので 60km/h定地燃費は 31km/ℓ(!)というバイク並みの燃費だった。

エンジンはベースが経済車パブリカ用なので 60km/h定地燃費は 31km/ℓ(!)というバイク並みの燃費だった。

画像: この時代のスポーティカーのマストアイテム、ナルディタイプのステアリングホイールを装備。その奥には 4つのメーターが並ぶ。

この時代のスポーティカーのマストアイテム、ナルディタイプのステアリングホイールを装備。その奥には 4つのメーターが並ぶ。

上手に走らせれば燃費は市街地で 18km/L、郊外のクルージングでは 28km/Lと、まさに当時の若者の軽い財布にはとても優しいものでした。トヨタスポーツ800は、日本のモータースポーツのいわば青年時代を象徴する、そんな 1台だったのです。

トヨタスポーツ800 主要諸元

■ボディサイズ:全長3580×全幅1465×全高1175㎜
■ホイールベース:2000㎜
■車両重量:580kg
■トランスミッション:4速MT
■エンジン:2U-B・水平対向2気筒 OHV 790㏄
■最高出力:45ps/5400rpm
■最大トルク:6.8kgm/3800rpm
■サスペンション形式:前=ダブルウイッシュボーン/後=リーフ・リジッド
■車両価格:59万5000円(1965年当時)

なお、本記事のより詳しい内容は「国産名車 昭和を駆け抜けた日本のスポーツカー」という本で見ることが出来ます。

画像: 「国産名車 昭和を駆け抜けた日本のスポーツカー」のトヨタスポーツ 800のページ。

「国産名車 昭和を駆け抜けた日本のスポーツカー」のトヨタスポーツ 800のページ。

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