ミツビシの小型車を代表したクルマ「ミラージュ」が登場したのはもう41年も前の話なんですね。当時日本で開催されたNCAA大学生アメリカンフットボールの試合「ミラージュボウル」は三菱自動車が主催していました。

初代ミラージュってどんなクルマ?

ミラージュは、三菱のコンパクトモデル。1978年に発売された初代モデルから始まり、1995年発売の6代目で一時販売終了、2012年に三菱の世界戦略車として復活するまで約12年間、車名がなくなっていた。

この初代ミラージュは、三菱自動車(当時は三菱自工)初のFFモデルとして1978年2月22日に発表(発売は3月1日)。三菱の新しい販売会社「カープラザ」店から一斉に発売された。


全長は3790mm。当時ヨーロッパを中心に爆発的な人気を得ていた初代VWゴルフ(1974年発売・全長3725mm)と同じセグメントとなる。エンジン横置き/FFのレイアウトを活かし、室内幅は1310mm、フロントレッグルーム870mmと広い室内を持ち、身長180cmの体格でも楽に運転ができるのを売りとしていた。

「フラッシュ・サーフェイス」をテーマに設計。ワイド&ロー(トレッド前1370mm/リア1340mm、全高1350mm)のスタイリングと直線基調でスリークなデザインで、欧州車のような端正なスタイルは大人気となった。


1200cc(72ps/10.7kgm)、1400cc(82ps/12.1kgm)のオリオンエンジンを搭載。GLグレード以上に組み合わされたトランスミッション「スーパーシフト」が特徴的で、4速MTに「エコノミーシフト/パワーシフト」切り替え機構を設けたものだった。構造上、4速×2=8速があるが、道路の状況に応じてあらかじめセットしておくプリセット方式。小さめの減速比にセッティングされた「エコノミーシフト」は経済的で静かな走行に、大きめの減速比の「パワーシフト」は山間地/悪路走行など駆動力が必要な場合に適していた。

登場時は3ドアハッチバックのみ発売。後に5ドアハッチバック/4ドアセダンが追加された。また1982年には、1400ccにクラス初のターボモデルを追加、その後各社からパワーアップされたコンパクト3ドアハッチバックが登場し、こうした「ホットハッチ」が若者に支持された。

1983年には2代目にフルモデルチェンジ。こちらは初代モデルの印象を残しつつカドの取れたボディラインを持ち、1985年からはこのモデルを用いたワンメイクレース「ミラージュカップ」が開催された(〜1998年)。このレースは、桂伸一氏/斎藤慎輔氏/瀬在仁志氏など、現在モータージャーナリストとして活躍する著名なドライバーを輩出している。

画像: 初代ミラージュってどんなクルマ?

車両価格(当時)

1200EL 72万8000円
1200GL 82万8000円
1400GL 86万5000円
1400GLX 92万2000円
※東京での価格

画像: 3ドア。ガラスエリアが大きい。

3ドア。ガラスエリアが大きい。

画像: 直線的なデザインのインパネ。シフトノブが2本生えているのが「スーパーシフト」。

直線的なデザインのインパネ。シフトノブが2本生えているのが「スーパーシフト」。

画像: ミラージュ3ドアハッチバックの内装。ピラーは細く、ガラス面積が広いため室内が明るい。

ミラージュ3ドアハッチバックの内装。ピラーは細く、ガラス面積が広いため室内が明るい。

画像: フロントシートスライド量は180mmと、当時のコンパクトカーとしては圧倒的だった。

フロントシートスライド量は180mmと、当時のコンパクトカーとしては圧倒的だった。

1978年には何があった?

ニュース

●新東京国際空港(成田国際空港)開港
●日中平和友好条約調印
●インベーダーゲーム

ヒット曲

●UFO ピンク・レディ
●サウスポー ピンク・レディ
●モンスター ピンク・レディ

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