日本はもとより世界の陸・海・空を駆けめぐる、さまざまな乗り物のスゴいメカニズムを紹介してきた「モンスターマシンに昂ぶる」。復刻版の第29回は、第二次大戦で活躍した旧ドイツ軍のタイガー戦車のエンジンにスポットを当ててみる。(今回の記事は2016年7月当時の内容です)

ふたつの試作車があったタイガー戦車

画像: タイトル画像:ガチで真っ向勝負! 四角四面の57トンという巨体で、第2次世界大戦で無敵だったタイガーⅠ重戦車だったが・・・。

タイトル画像:ガチで真っ向勝負! 四角四面の57トンという巨体で、第2次世界大戦で無敵だったタイガーⅠ重戦車だったが・・・。

現代においても、第二次世界大戦において史上最強と謳われた戦車として有名なのは、旧ドイツ陸軍のタイガー戦車だろう。1942年に登場したタイガーI、大戦末期に登場したタイガーII、その派生型を含め、強力な火力と装甲、機能の先進性、そして戦闘実績において、今もなお最強伝説を語り継がれている。

しかし、タイガーにもウイークポイントはあった。無敵を誇った武装や装甲と違い、その心臓といえるエンジンは、開発当初から最後まで問題を抱え続けた。

当初、タイガーは2社の試作モデルが競合した。ひとつがマイバッハ製エンジンを搭載したヘンシェル社の試作。もうひとつがポルシェ博士が開発した、ガソリンエレクトリック機関の試作車だ。ガソリンエレクトリック方式・・・つまり、ガソリンエンジンで発電機を回してモーターで駆動するという「ハイブリッド」。しかもエンジン自体は空冷という、巨大で重いユニット(ジーメンス社製)だった。

画像: 試作落ちだったポルシェ製タイガー。なんと動力はガソリンエレクトリック=ガソリンエンジンで発電機を動かし、その電力でモーターを回す凝った方式。変速機不要という理論だが、空冷エンジン+発電機+モーターというユニットは、あまりに大きく鈍重で、デモ走行でもトラブルを頻発した。

試作落ちだったポルシェ製タイガー。なんと動力はガソリンエレクトリック=ガソリンエンジンで発電機を動かし、その電力でモーターを回す凝った方式。変速機不要という理論だが、空冷エンジン+発電機+モーターというユニットは、あまりに大きく鈍重で、デモ走行でもトラブルを頻発した。

「連合軍のあらゆる戦車を一撃で撃破する」新型戦車の泣きどころが、エンジン出力と変速機であることは、企画当初からわかっていた。モーター駆動なら変速機が不要で無段階変速が可能になる・・・そんなポルシェの理想とは裏腹に、過大な重量と鈍重な運動性能、さらに試運転での頻繁なトラブルにより、不採用となる。

当時の主力戦車を見ると、先代の四号戦車はタイガーIの半分以下の重量である25トンで300ps。旧ソ連のT34が約31トンで500ps。アメリカのM4シャーマンが約30トンで400psと、「直線番長」のT34を除くと、だいたいバランスがわかる。そんな時代にズバ抜けて巨大なタイガーIは57トンでも、エンジン出力が700psなら妥当に思える。しかし、不整地や障害物を乗り越えて進むのが仕事の戦車に、700psという「最高出力」はリスキーだった。

タイガーのエンジンを製造するマイバッハは、20世紀前半ダイムラー・ベンツと並ぶエンジンメーカーだった。有名なのは巨大飛行船「グラーフ・ツェッペリン号」への搭載エンジンで、高い信頼性から旧ドイツ軍の戦車は、マイバッハ製エンジンが独占していた。

耐久性を高めるため、最高出力はセーブしたが・・・

画像: 復元後試運転する、タイガーIIやパンサー戦車に搭載された後期型のHL230-P30。45トンのパンサーはともかく、70トンを超えるタイガーIIの心臓としては、外観からして心細い。ガソリンエンジンなのは、軽量高出力な航空機エンジンがベースであり、燃料共有化のため。これは英米戦車も同じだ。

復元後試運転する、タイガーIIやパンサー戦車に搭載された後期型のHL230-P30。45トンのパンサーはともかく、70トンを超えるタイガーIIの心臓としては、外観からして心細い。ガソリンエンジンなのは、軽量高出力な航空機エンジンがベースであり、燃料共有化のため。これは英米戦車も同じだ。

タイガーIの初期型は、HL210-P45というV型12気筒の水冷式ガソリンエンジンで、排気量21L、最高出力は650psを発生したが、すぐにパワー不足が問題となり、排気量を23Lに拡大した700ps版のHL230-P45に換装された。同じ性能のまま小型軽量化したP30型は、ほぼ同期に開発された45トンのパンサー戦車に搭載され、良好なバランスで高い運動性能を提供している。

700psとなったHL230シリーズでも、57トンもの重量は大きな負担で、最高速度は38km/h(パンサーは55km/h)にとどまった。不整地や障害を乗り越えることの多い戦車は最高回転まで引っ張ることが多く、全開運転による故障が頻発した。そのため安全策をとり、ガバナー(回転リミッター)により最高回転数を500rpmダウンし、最高出力を600psまでに抑制した。

にもかかわらず、タイガーIの後継型となったタイガーIIは70トン。その派生型で、128mm砲という現代の戦車も驚愕する巨砲を搭載したヤークトタイガーでは、75トンにも肥大化している。つまり、大型化する車体、重くなる装甲や武装に対し、エンジンの進化は完全に停止してしまったといえる。タイガー級戦車に相応なエンジンが登場するには、終戦から20年もの歳月が必要だったのだ。

画像: フルモデルチェンジで登場したタイガーII。物資のない大戦末期(1944年頃)に、よくこんな巨大戦車を量産したものだ! 戦車戦で勝負できる戦車は旧ソ連にもアメリカにもなく、「キング」とか「ロイヤル」と、敵側からも畏敬の念を持って呼ばれた。

フルモデルチェンジで登場したタイガーII。物資のない大戦末期(1944年頃)に、よくこんな巨大戦車を量産したものだ! 戦車戦で勝負できる戦車は旧ソ連にもアメリカにもなく、「キング」とか「ロイヤル」と、敵側からも畏敬の念を持って呼ばれた。

タイガーは強大な破壊力の他にも、先進先鋭なメカニズムが採用されていた。変速機と操縦装置だ。なんとセミオートマチック前進8速/後進4速という凝ったもので、レバーで任意のギアに変速するだけでなく、ステアリングホイール(しかもパワステ!)と変速機やブレーキを油圧連動させることで、舵角によって左右の動輪の速度を制御し、方向転換できるという、画期的な方式を併せ持った。

当時はもちろん、1960年代までの戦車の操縦はブルドーザーなど工事用のキャタピラ車両とほぼ同じ。左右のレバー操作で、左右動輪に速度差を生じさせ方向を変えるが、タイガーは現代戦車の基礎となるステアリングホイール式だった。だが、この精密極まる操縦機構が生産性を下げ、前線では故障の原因にもなった。ノミの心臓に、高級機械式腕時計のような走行装置だったのだ。

タイガーは、米ソ戦車と真っ向勝負なら十数倍の撃破率をカウントしながらも、故障と燃料切れで、放棄・自爆された車両が多すぎた。また、生産や整備に手間がかかり、配備数や稼動台数が少なすぎた。戦場とは、高性能な兵器が支配する場ではないのだ。(文 & Photo CG:MazKen)

※タイガーIにはHL230-P45型が搭載されていた。最高出力などのスペックはほぼ■マイバッハ・HL230-P3

■マイバッハ HL230 P30 主要諸元

●水冷 60度V型12気筒・OHV
●排気量:約23.9L
●最高出力:700ps/3000rpm
  (のちに600ps/2500rpm)

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