日本はもとより世界の陸・海・空を駆けめぐる、さまざまな乗り物のスゴいメカニズムを紹介してきた「モンスターマシンに昂ぶる」。復刻版として再度お届けする第3回は、モンスターエンジンを搭載した日本初の「ハイウエイバス」を紹介する。(この記事は2016年11月当時の内容です)

難関の「国鉄専用型式」をクリアせよ!

画像: タイトル画像:1970 大阪万国博の前年、名神/東名高速道路の全通に合わせ運行を開始した長距離高速バス。中でも傑作が、この三菱 906R(上)と日野 RA900-P(下)だった。

タイトル画像:1970 大阪万国博の前年、名神/東名高速道路の全通に合わせ運行を開始した長距離高速バス。中でも傑作が、この三菱 906R(上)と日野 RA900-P(下)だった。

今や多くの人が利用し、良くも悪くも話題になることの多い長距離高速バス。今回はこの黎明期にスポットを当てたい。

高度成長期の1960年代。1964年の東京オリンピックに呼応して、名神高速道路(189.6km)が1963〜1965年に開通。大阪万国博覧会の前年、1969年5月に東名高速道路(346.8km)が全通し、東海道が最高速度100km/hで結ばれた。この二大国家イベントに、国鉄(現在のJR)は東海道新幹線に加え、東京-大阪間の超高速バス構想を進めた。すでに日野、三菱、いすゞは試作バスを名神高速道路で実走させ、1966年このデータから国内バスメーカーに超高速バスの開発基準が出された。それが「国鉄専用型式」だ。

国鉄が要求した主な仕様は…

■自然吸気式320ps以上。最高速140km/h。巡航速度100km/h。※ターボ式過給機不可
■0→400m加速29秒以内。3速で80km/hまで加速可能なギア設定。80→100km/h追越し加速15秒以内。
■30万kmノンオーバーホール。名神高速道路で100km/hでの20万km実走試験。※耐久性の基準は、東京-大阪間営業距離566.3kmを往復で約1年分の距離という理論。
■アンチスキッドを備える、高性能な複数系統ブレーキ。チューブレスタイヤ。
■サブエンジン式の冷房装置。※現代は機関直結式冷房装置が主流だが、20世紀までは走行性能の低下や、低効率なバッテリーや発電機のため、独立機関式冷房装置が要求された。
■その他、トイレの設置。高速道路用電気ホーンとワイパー、無線機など。

…というもの。1960年代の自動車には格段に高い走行性能と快適性の基準だった。

同年代の新型乗用車といえば、T40型コロナ、410型ブルーバード、そして初代カローラやサニーなどで、カタログ上は最高速度140km/h、ゼロヨン19秒台を謳うものの、実走では及ばない市販車が大半だった。しかも、長時間の高速走行では、オーバーヒートなどのトラブルがまだまだ多かった。まして、国産バスやトラックで高速連続運転など常識外な時代。設定した基準を鉄道車両同様「実走試験でクリアしなければ不採用!」というのが、国鉄らしい厳しさと言えた。

現代に通じる先進的モンスターの登場

乗用車よりも高い走行性能と安全・快適性を求められたメーカーは、名神高速開通時から試験運用してきた試作車をベースに国鉄専用型式の難関に挑んだ。日野は名神高速開通時、すでに世界最大級のバス用ディーゼルエンジン/DS120型320psを搭載したRA100P型高速バスを発売しており、走行性能だけなら国鉄基準をクリアしていた。しかし、その開発当時、国内に高速道路がないためハワイに輸送しての走行テストだったと記録がある。

画像: 全開通間もない名神高速道路で20万kmの耐久走行を成功させた、日野 RA900-P試作車。

全開通間もない名神高速道路で20万kmの耐久走行を成功させた、日野 RA900-P試作車。

そこで日野はDS120型をチューンアップ、350psのDS140型エンジンを搭載し、141km/hを達成しただけでなく、他の仕様も国鉄専用型式に適合した高速ハイウエイ・コーチ、RA900-P(車体は帝国車体製)を1969年2月に登場させた。

RA900-Pの特徴は、なんといってもバス専用水平対向ディーゼルエンジンだ。多くの読者諸氏も路線バスで知るように、バスの主流はRR駆動だ。車体最後部に直列またはV型エンジンを搭載するため、車内最後部席は一段高い「ひな壇」ができてしまう。そこで日野は、低重心の水平対向エンジンを採用、最後部まで平坦なフロアを実現。さらにデッドスペースがない分、ゆとりある座席配置にでき、夜行便では重用された。フロントにラジエターグリルがある外観も特徴だった。

画像: 日野は17.4L水平対向(カタログは水平向合)12気筒の、DS140エンジンを導入。高さを抑えたエンジンは車内最後部にひな壇がない、ゆとりある空間をもたらした。

日野は17.4L水平対向(カタログは水平向合)12気筒の、DS140エンジンを導入。高さを抑えたエンジンは車内最後部にひな壇がない、ゆとりある空間をもたらした。

他方、三菱は当時最新のV型6気筒200psエンジンを連結した12気筒350psの12DC2型を開発。これを搭載したのがB906R(車体は富士重工製)だ。その特徴はパワーで、一説によると400ps近かったと言われ、0→400m加速は26秒とされている。しかし燃費が悪く、1974年にはV10エンジンに換装された。

画像: 三菱は、既存の200馬力級V型6気筒エンジンをタンデムにした、V型12気筒19.9Lの12DC2を開発。公称350psとあるが、実際は400psぐらいはあったという説もある。

三菱は、既存の200馬力級V型6気筒エンジンをタンデムにした、V型12気筒19.9Lの12DC2を開発。公称350psとあるが、実際は400psぐらいはあったという説もある。

さて「バスの雄」とされる、いすゞにとって「過給機なし」という条件でのクリアは厳しく、試作2台を納車しながらも、国鉄の出力試験を通過せず不採用となっている。また、日産ディーゼルは2サイクル・ユニフロー掃気・機械式過給機付きというハイテクエンジンで採用となるものの、厳しくなった排ガス規制や省エネのため少数納車にとどまった。

1969年6月10日、東京-大阪間を結ぶ高速バスが営業を開始。大阪万博では、列車より快適で安い移動手段として大人気を博した。以降、国産高速バスに急激な進化をもたらすとともに、現代の高速バス繁栄の礎を築いたと言える。(文 & Photo CG:MazKen/取材協力:日野自動車株式会社、三菱ふそうトラック・バス株式会社)

画像: 首都高速環状線内回り、千鳥ヶ淵付近を行く日野RA900-P。初代サニーやブルーバード410が並走している。1970年代初頭、確実に140km/hを出せ、東京—大阪を悠々走破できる乗用車は稀だった。

首都高速環状線内回り、千鳥ヶ淵付近を行く日野RA900-P。初代サニーやブルーバード410が並走している。1970年代初頭、確実に140km/hを出せ、東京—大阪を悠々走破できる乗用車は稀だった。

日野DS140のエンジン諸元

エンジン形式:水冷・水平向合12気筒
排気量:17.449L
燃料供給方式:インジェクション
燃料:軽油
最高出力:350ps/2400rpm
最大トルク:115kgm/1600rpm

三菱12DC2のエンジン諸元

エンジン形式:水冷・90度V型12気筒
排気量:19.910L
燃料供給方式:インジェクション
燃料:軽油
最高出力:350ps/2400rpm
最大トルク:120kgm/1200rpm

※データや用語は当時のカタログに基づく。バス画像は試作車のもので営業仕様と一部異なる。

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