1960年代後半、日本GPはレーシングプロトタイプが隆盛を極めた、日産はR382を開発。モンスターエンジンに昂ぶる 第9回は、そんなR382に搭載されていたエンジン、6L V12気筒DOHCの「GRX-3」だ。

■文&Photo CG:MazKen ■取材協力:日産自動車

驚異的な進化は、グロリア スーパー6に搭載されたG7型から始まった

F1グランプリが定期的に日本で開催されるようになって、30年以上が経過した。浮き沈みこそあれ、モータースポーツはすっかり日本に定着しているが、今回はその黎明期、わずか数年で劇的に進化を遂げたレーシングエンジンにスポットを当てる。

「日本グランプリ」は、今でこそF1世界選手権シリーズの日本大会を指すが、1963年から1969年までは、国内モータースポーツの頂点として存在していた。この時代を、日本モータースポーツ史第一期と言う。

第一期最後の「'69日本グランプリ」で圧勝したのが、日産R382であることは多くの読者が知るとおりだが、その搭載エンジンこそ国産レーシングエンジン史上最大のモンスターだった。今後もこれほどのエンジンは出現しないであろう。

そのR382に搭載されたGRX-3エンジンは、6L V型12気筒DOHC 48バルブで約600psという、約半世紀を経た現代の視点でも極めて強大なスペックを誇っている。

ではGRX-3のルーツは何か? それは1963年製のプリンス・グロリア スーパー6(S41D)に搭載されたエンジンで、2Lの直列6気筒SOHC、105ps/5200rpmを発生した「G7型」にまでさかのぼる。これをベースとして、ウエーバー製3連キャブに換装して125psまでチューン、1964年の第2回日本グランプリでグロリアとスカイライン(S54)が2クラスで圧勝。これが、国産初のレース専用エンジン「GR8」の基になった。

画像: 手前がプリンスR380用に開発されたGR8エンジン。基になったのは、2代目グロリア・スーパー6に搭載された直6のG7型。奥のGRX-3まで、わずか6年で排気量は3倍、出力は約6倍にも怪物化した。

手前がプリンスR380用に開発されたGR8エンジン。基になったのは、2代目グロリア・スーパー6に搭載された直6のG7型。奥のGRX-3まで、わずか6年で排気量は3倍、出力は約6倍にも怪物化した。

2L直6 SOHCのG7のボア×ストローク75mm×75mmを、82mm×63mmにショートストローク化されたのがGR8だ。アルミ製シリンダーブロックにウエットライナーを採用し、さらにDOHC 24バルブ化して8000rpmで約200psを絞り出す、ほぼ専用新設計のレーシングエンジンと言えるものだった。

このGR8を搭載した初の国産純レーシングカーR380は、1966年の第3回日本グランプリで宿敵ポルシェ906の打倒に成功した。GR8とR380は、わずか3年余りで次々と進化し、ルーカス製メカニカルインジェクションを得た最終型では、250psにまで到達している。

当時の逸話によると、8000rpmへの高回転化は、次世代のGRX系V型12気筒エンジンを開発するより難題だったそうだ。その困難に挑んだのは、第二次大戦中に中島飛行機で「栄」や「誉」エンジンを開発した、中川良一主任技師らだった。

世界制覇を目標にしたモンスターマシンR382と、それに続くR383

1968年5月の日本グランプリでは、トヨタも初の純レーシングカーを投入する見とおしとなり、ニューマシンR381と5L V型12気筒「GRXエンジン」の搭載が急務となった。このGRX-1は、GR8を2機合わせただけという代物ではない。排気量は2.5倍となり、シリンダーブロックをはじめすべてが専用の新設計だったのだ。そのため開発は思うように進まず、結局、完成・搭載されたのはレース終了後の12月のこと。

開発が間に合わないと判断した日産はやむなく、市販レースエンジンとして信頼性の高いシボレー製の5.5L V型8気筒エンジンを搭載を選択せざるを得なかった。これを同じアメリカのムーン社がチューンしたものだ。結果としてR381は圧勝するも、職人気質のエンジニアたちは素直に喜べなかったに違いない。

ちなみに怪鳥の異名を持つR381は、当時人気のカンナム(カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ)シリーズの雄、シャパラルが先鞭をつけた、ハイマウントウイング=エアロスタビライザーを装着する画期的なマシンだった。

GRX-1が完成した直後である翌1969年初頭には5L→6L化がスタート、富士スピードウェイでの練習走行も行われていた。俗に言う「'69日本グランプリ直前に意表を突く発表」をするため情報を秘匿されてはいたが、その光景を目にしていたライバルチームの技術者は、5L以上を搭載していることを見抜いていたはずだという。この6L版のGRX-3を搭載したR382は日本グランプリで2連勝に貢献した。

画像: 600ps近いパワーを受け止めるため、当時最大級の15.5×15インチタイヤが装着されたR382のリアビュー。展示車は当時のタイヤではないが、現代のF1と比べても迫力! 巨大なオイルクーラーがリアスポイラー直下に収まる。

600ps近いパワーを受け止めるため、当時最大級の15.5×15インチタイヤが装着されたR382のリアビュー。展示車は当時のタイヤではないが、現代のF1と比べても迫力! 巨大なオイルクーラーがリアスポイラー直下に収まる。

その後の予定では、進化版のR383で宿敵トヨタ・ニュー7(5L/474S)とともにカンナムシリーズに参戦することになっていた。当時、カンナムを席巻していたのは、マクラーレンM8、シャパラル2、ローラT160など、いずれもシボレーV8の6〜7Lで600ps超級のエンジンを搭載したマシンたちだった。さらにポルシェ917(スパイダー)系、フェラーリ612Pなども加えた大排気量のモンスターマシンたちに殴り込みをかけようとしていた。

画像: R382のコクピットはまさに手造り。男の作業場。左端から油圧・燃圧・油温・回転数・電流・水温計が無造作に並ぶ。ステアリングは3本の+ネジで固定されるだけ。その右に5速ミッションのシフトロッドが見える。無線なんてものは、もちろんない。

R382のコクピットはまさに手造り。男の作業場。左端から油圧・燃圧・油温・回転数・電流・水温計が無造作に並ぶ。ステアリングは3本の+ネジで固定されるだけ。その右に5速ミッションのシフトロッドが見える。無線なんてものは、もちろんない。

しかし、大気汚染や交通戦争対策を理由に日産とトヨタは、カンナムと日本グランプリへの参戦プロジェクトを突如白紙撤回してしまう。2大ファクトリーチームが不参加となった、1970年の日本グランプリは中止となる。

すべてが「幻」のまま、封印されてしまったのだった。

画像: 日本モータースポーツ史第1期の1969年、ワークスレーシングカーの頂点に立った日産R382とGRX-3エンジン。歴代3車(奥からR380、R381)を比べると驚異的な進化がわかる。

日本モータースポーツ史第1期の1969年、ワークスレーシングカーの頂点に立った日産R382とGRX-3エンジン。歴代3車(奥からR380、R381)を比べると驚異的な進化がわかる。

日産・GRX-3型のエンジン諸元

水冷V型12気筒/DOHC 4バルブ
排気量:5954cc
ボア×ストローク:90.0×78.0mm
燃料供給方式:機械式燃料噴射
出力:592ps以上/6400rpm
トルク:64.2kgm/5600rpm
※レースエンジンはコース、天候等の条件により出力が大きく異なる。

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