1970年代から80年代の“街道レーサー”のルーツにもなったと言われる、ツーリングカーレースに参戦していたマシンたち。クルマ好きは、これらを「ハコ」と呼んで愛した。そんな「ハコ」のマシンたちを、これから何回かで紹介していきたい。その第1回は「日産 B110サニークーペ」だ。

入門用レースカーとして愛されたサニー

画像: 日産の座間ヘリテージコレクションに展示されているサニーは、1972年の東京モーターショーに参考出品された実車だ。

日産の座間ヘリテージコレクションに展示されているサニーは、1972年の東京モーターショーに参考出品された実車だ。

1970年代、1300cc以下のツーリングカー部門のレースで劣勢だった日産を一気に盛り返したモデルが、B110サニークーペだ。

1300cc以下のT-Iクラスは、カローラ/パブリカ連合軍によって1968年以来トヨタに独占されてきたが、1970年11月の富士に鈴木誠一が自ら率いる東名自動車で手を加えたサニーで参戦、それまで常勝だったトヨタ勢を一蹴した。

画像: 1976年の冨士GC第1戦。マイナーツーリングは、GCのメインレースより「通」に人気があった。

1976年の冨士GC第1戦。マイナーツーリングは、GCのメインレースより「通」に人気があった。

1971年からは富士GC(グランチャンピオン)シリーズのサポートレース「マイナーツーリング」に参戦。カローラ勢を完全に圧し、またたくまに王座に君臨し、のちにヤマト シビックと鎬を削り合うことになる。

追浜(日産の特殊車両部第一実験室)が関与することが少なく、大森(日産自動車 広報部宣伝第四課の下部組織)とプライベートチューナーによって開発熟成が進められたことが、大きな特徴だ。

画像: LZ14は200psにまでアップして、進化版のサニー エクセレント クーペに搭載された。この車両も座間ヘリテージコレクションに展示されている。

LZ14は200psにまでアップして、進化版のサニー エクセレント クーペに搭載された。この車両も座間ヘリテージコレクションに展示されている。

カローラに対し軽量、コンパクト、空力特性に優れることが優位点となっていたが、新採用となったA12型OHVエンジンは素性に優れ、当初140psレベルだったエンジンは、チタンバルブ/コンロッド、カーボンプッシュロッドなどを投入し、110サニーでも最終的に175psに達したという。(文:大内明彦)

画像: 110サニーの公認切れの後は、310サニーがマイナーツーリングの主役となっていった。

110サニーの公認切れの後は、310サニーがマイナーツーリングの主役となっていった。

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