1961~70年は、日本の近代スポーツカーが飛躍的に進化した10年だった。この時代に矢継ぎ早に投入された新型スポーツカーは、まさに日本の自動車技術の進化の歴史と言っていい。そんな飛躍の10年を彩った珠玉のマシンを振り返ってみる。5回目は、ダットサン・フェアレディのミニ・ヒストリーだ。

フェアレディは、近代スポーツカーへの足がかりとなった意欲作だった

そもそもは日産の源流だったが、今や日産の海外ブランドのひとつとなり、日本では消えてしまった「ダットサン」。そんなダットサンの近代スポーツカーのルーツは、1957年に発表され、59年から生産されたダットサン・スポーツ1000(S210)だった。

ダットサン・フェアレデー1200(SPL212型 1960年1月発表)

画像: ダットサン・フェアレデー1200(SPL212型 1960年1月発表)

1960年、初めて「フェアレデー(フェアレディではない)」を名乗ったスポーツカー、SPL212はS210のFRPボディをスチールにして品質の安定を図った。だが、4輪リーフリジッドサスなどの基本設計が古く、欧州スポーツカーとの性能差は明らかだった。

ダットサン・フェアレディ1500(SP310型 1961年10月発表)

画像: ダットサン・フェアレディ1500(SP310型 1961年10月発表)

1961年、フェアレディ1500(SP310)が登場(発売は62年)。低床ラダーフレームと5.60-13タイヤで車高を下げ、310型ブルーバードと同じ前輪独立サスを得て、近代スポーツカーへの道を歩み出す。エンジンは1.5LのG型を搭載していた。フロントシートの後ろに横向きのリアシートが備わる3人乗りだったのがユニークだった。

ダットサン・フェアレディ1600(SP311型 1965年5月発表)

画像: ダットサン・フェアレディ1600(SP311型 1965年5月発表)

1965年、SP310はフェアレディ1600(SP311)に進化する。エンジンはR型の1.6Lに換装された。初代シルビアとシャシを共用し、フロントディスクブレーキを採用するなど、高速性能を高めて人気を得る。

ダットサン・フェアレディ2000(SR311型 1967年3月発表)

画像: ダットサン・フェアレディ2000(SR311型 1967年3月発表)

そしてSP310誕生から6年後の1967年、フェアレディの最終型として登場したのがフェアレディ2000(SR311)だ。

エンジンはOHVからSOHCのU20型 2.0Lに進化。ソレックスキャブレターの2連装で145psを発生し、最高速度は205km/hを謳った。デビュー直後の第4回日本GP(GTレース)に出走し表彰台を独占して実力を示した。だが、市販型は旧式のシャシと5.60S-14タイヤだったからパワーを吸収できず、とんでもないジャジャ馬ぶりに手を焼かされたものだった。

画像: ポルシェタイプの5速MTを得て国産初の200km/hオーバーを達成。67年11月には日本初のコラブシブルステアリングの採用で北米の安全基準に準拠した。

ポルシェタイプの5速MTを得て国産初の200km/hオーバーを達成。67年11月には日本初のコラブシブルステアリングの採用で北米の安全基準に準拠した。

画像: 最高出力145ps(グロス)に対して車重は910kgと軽かったので、0-400m加速は15.4秒と当時の国産最速をマーク。そのぶんコントロールするには高度なスキルを必要とした。

最高出力145ps(グロス)に対して車重は910kgと軽かったので、0-400m加速は15.4秒と当時の国産最速をマーク。そのぶんコントロールするには高度なスキルを必要とした。

フェアレディ2000(1967年) 主要諸元

●全長×全幅×全高:3910×1495×1300mm
●ホイールベース:2280mm
●車両重量:910kg
●エンジン・型式:直4SOHC・U20
●排気量:1982cc
●最高出力/最大トルク:145ps/18.0kgm
●サスペンション前/後:
●ダブルウイッシュボーン/リーフリジッド
●発売時価格:88万円

画像: 60年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

60年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

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