1961~70年は、日本の近代スポーツカーが飛躍的に進化した10年だった。この時代に矢継ぎ早に投入された新型スポーツカーは、まさに日本の自動車技術の進化の歴史と言っていい。そんな飛躍の10年を彩った珠玉のマシンを振り返ってみる。今回は、箱スカGT-Rこと日産の初代スカイライン2000GT-Rだ。

何者も追いつけない圧倒的な速さで国内レースを制覇

「日産 スカイライン2000GT-R(PGC10型 1969年2月発売)」

画像: リアフェンダーのサーフィンラインはホイールアーチでカットされるのがGT-Rの証。テールランプは丸型ではなかった。

リアフェンダーのサーフィンラインはホイールアーチでカットされるのがGT-Rの証。テールランプは丸型ではなかった。

この項で以前に紹介したスカイライン2000GT-B(S54B)の後継モデルとして開発されたのが、スカイライン神話をさらに際立たせていった「GT-R」だ。

1968年の東京モーターショーに「スカイラインGTレーシング仕様」として参考出品され、翌69年2月に発売された。

画像: 国産量産車初の4バルブDOHCを採用したS20型エンジン。当時の2Lクラスでは無敵の160psと18.0kgmを発生した。

国産量産車初の4バルブDOHCを採用したS20型エンジン。当時の2Lクラスでは無敵の160psと18.0kgmを発生した。

最大の特徴は、なんといってもエンジンだ。グループ6レーシングカー、日産 R380(デビュー時は合併前のプリンス R380)に搭載されたGR8型エンジンを基にして160psを発生するS20型4バルブDOHCを搭載した。

それゆえ「羊の皮を被った狼」のキャッチフレーズが、先代のGTーBから引き継がれていた。

画像: コクピットはレースに勝つために贅沢装備を排除したシンプルなもの。これぞプロ仕様だ。

コクピットはレースに勝つために贅沢装備を排除したシンプルなもの。これぞプロ仕様だ。

69年の日本GPでは表彰台を独占するなど、国内レースで52勝(ワークスによるもの)という金字塔を打ち立てたことは、モータースポーツファンにはあまりにも有名な話。

70年にホイールベースを70mm短縮して機動性を高めたハードトップへの切り替え後も含めて、ツーリングカーレースで無敵の存在となっていった。

画像: セダンのGT-Rは比較的短命だったが、その血統はハードトップが受け継いでレースで活躍する。

セダンのGT-Rは比較的短命だったが、その血統はハードトップが受け継いでレースで活躍する。

スカイライン2000GT-R(1969年) 主要諸元

●全長×全幅×全高:4395×1610×1385mm
●ホイールベース:2640mm
●車両重量:1120kg
●エンジン・型式:直6DOHC・S20
●排気量:1989cc
●最高出力/最大トルク:160ps/18.0kgm
●サスペンション前/後:ストラット/セミトレーリングアーム
●発売時価格:150万円

画像: 1960年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

1960年代の国産スポーツカーについては、ホリデーオート2019年2月号でも紹介しています。

This article is a sponsored article by
''.