1978年の第28回ジュネーブショーに登場して話題をさらった和製スーパーカーが、レーシングコンストラクターである童夢が開発した「童夢 零」だ。同車のプロジェクトが始まったのが1975年。翌1975年からスタイリングのスタディを開始し、その後2年で完成にいたった。レーシングカーコンストラクターが市販ロードゴーイングカーを目指して開発したことも大きな話題となった。

日本での市販は当時の行政の壁に阻まれる

「童夢 零」は、中身も先進性が目をひくクルマだった。当時のスーパーカーは、鋼管スペースフレームが使われることが多かったが、スチールモノコックフレームを採用していたのも特徴だ。ウエッジシェイプのボディは、当時はまだ一般的ではなかった風洞を用いてデザインされたもので、Cd値は0.37という当時としてはかなり優秀なものだった。

全高に至っては980mmという低さで、これはランボルギーニ カウンタックの1070mmをも凌ぐ。ちなみにシザーズドアもカウンタックと同じ方式で、同車をかなり意識していたことが想像できる。

画像: 全高980mmと他のスーパーカーを寄せ付けない低さと、ランボルギーニ カウンタック張りのシザーズドアが童夢 零の特徴だ。

全高980mmと他のスーパーカーを寄せ付けない低さと、ランボルギーニ カウンタック張りのシザーズドアが童夢 零の特徴だ。

エンジンは日産のL28型 直6 SOHCをミッドに縦置きに搭載した。必ずしもベストなエンジンというわけではないが、国産で手頃な高性能エンジンというチョイスだった。燃料供給はソレックスキャブレター3基で行い、145ps/23.0kgmを発生した。トランスミッションはZF製の5速MTだ。

前後サスペンションは、ダブルウイッシュボーンで、ブレーキはフロントがベンチレーテッドディスク、リアがソリッドディスクと、当時の高性能車の定石を踏まえたものだ。タイヤサイズは、フロントが185/60VR13、リアが225/55VR14となっていた。

画像: 童夢 零/P-2のスーパーカー的でない部分がパワーユニット。日産のL28型 直6 SOHCはソレックス3連キャブを用いたものの145ps/23.0kgmと控えめなものだった。

童夢 零/P-2のスーパーカー的でない部分がパワーユニット。日産のL28型 直6 SOHCはソレックス3連キャブを用いたものの145ps/23.0kgmと控えめなものだった。

童夢 零は、JARI(日本自動車研究所)やサーキット、仮ナンバーを付けての公道走行を行って販売への準備を進めていたが、車両認定に関しては運輸省(当時)との交渉が難航し、国内での認定を諦めざるを得なかった。

その後、アメリカでの販売を目指しDOME USAを設立。1979年にアメリカの法規に準じた仕様の「童夢 P-2」を開発する。現地の保安基準に合わせてバンパーの大型化やヘッドランプの高さ変更が行われた。アウターパネルもすべてリデザインされている。

画像: 「世界一全高が低いクルマ」を目指し、零の全高は1mを切る980mmに抑えられた。写真のP-2は990mmとなったが、それでも室内はかなり狭いものとなっている。

「世界一全高が低いクルマ」を目指し、零の全高は1mを切る980mmに抑えられた。写真のP-2は990mmとなったが、それでも室内はかなり狭いものとなっている。

P-2は2台製作され、ラスベガスでテスト走行も重ねられた。シカゴオートショー、ロサンゼルスオートエキスポにも出展され、市販への期待が高まっていたが、この頃、童夢がル・マン24時間レースへの参戦のチャンスを得たことにより開発がストップしてしまう。

ロードゴーイングカーとしての「童夢 零」、「童夢 P-2」は実現されなかったが、国産スーパーカーとして忘れられない1台だ。

画像: 直線基調でまとめられたP-2インパネ回り。ステアリングのデザインも独特で、これは零とも同様。国産車初のデジタルメーターもこのクルマから始まった。

直線基調でまとめられたP-2インパネ回り。ステアリングのデザインも独特で、これは零とも同様。国産車初のデジタルメーターもこのクルマから始まった。

スーパーカー図鑑のバックナンバー

童夢 P-2 主要諸元

●全長×全幅×全高:4235×1775×990mm
●ホイールベース:2450mm
●重量:950kg
●エンジン:直6 SOHC
●排気量:2753cc
●最高出力:145ps/5200rpm
●最大トルク:23.0kgm/4000rpm
●トランスミッション:5速MT
●駆動方式:縦置きミッドシップRWD

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