1984年に登場したプジョー 205T16は、WRCがまた違う時代に入ったことを感じさせた。市販車のプジョー 205と似たスタイリングを持っていたが、その中身はまさに「怪物」そのものだった。(タイトル写真は1986年サンレモラリー。ドライバーはティモ・サロネン)

4WDでラリーを席巻していたアウディを王座から引きずり降ろす

過激さが魅力のグループBマシンの中でも「最強マシン」と言えるのがプジョー 205T16だろう。コンパクトハッチバックの205のボディをベースにしたこのミッドシップ4WDラリーカーは、アウディを王座から引きずり降ろし、ランチアの追撃を退けて1985年、1986年のWRCマニファクチャラーズ選手権&ドライバーズ選手権を連覇した。

プジョー 205T16が登場する以前、WRCでのプジョーの活躍は1970年代の504/504V6クーペによる耐久色の強いアフリカンイベントでの奮闘に留まっていた。潮目が変わったのは1978年からプジョー傘下になったクラスラーUKの送り出したコンパクトカー、タルボ・サンビーム・ロータスがWRCで活躍を見せ始めたことだった。

サンビーム・ロータスの好走に刺激された当時のプジョーのトップ、ジャン・ボワイヨは社運を賭けて開発中だった次期コンパクトカー、開発コード「M24」のプロモーションにWRCを使うことを決断する。

タルボがWRCマニュファクチャラーズ選手権を争っていた最中の1981年10月に、プジョーとタルボの競技部門を合併させてプジョー・タルボ・スポールを結成、そのトップにタルボでコドライバーを務め、チームマネージャー的な役割もこなしていたジャン・トッドを据えた。

アウディ・クワトロの脅威をWRCの現場で目の当たりにしていたトッドは、さらに一歩先をゆくミッドシップ+4WDこそグループBラリーカーの未来だと看破。M24ラリープロジェクト、のちに205T16となるラリーカーの概要を固めた。

画像: 初期型のプジョー205T16 EVO1。

初期型のプジョー205T16 EVO1。

精鋭エンジニアたちが開発した205T16がWRCの現場に姿を現したのは、1984年5月のツール・ド・コルス。スタイリングはFWDの市販205と巧妙に似せられていたものの、ラジエター冷却用の大きな開口部のあるボンネットの下には、エンジンではなくスペアタイヤとフロントデフがあり、1774.6ccの直4ターボエンジンは強固なサブフレームを組んでギアボックスとともにリアに横置き搭載されていて、まったく異質のレーシングマシンであることは一目瞭然だった。

初陣ではアリ・バタネンが最終的にはリタイアしたものの、ランチア・ラリー037、アウディ・クワトロA2らを圧倒する走りを見せて、ポテンシャルを示す。そしてシーズン半ばの1000湖ラリー、サンレモラリー、RACラリーと3連勝を飾ってみせた。

翌1985年はアルゼンチンでエースのバタネンがアクシデントで大怪我を負うという悲劇はあったものの、コルシカから登場させた改良バージョン、205T16E2(空力パーツ追加と軽量化、エンジン改良を図った)の投入も奏功して、圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得。1986年もランチア デルタS4との死闘を制して、2年連連続ダブルタイトルを獲得してグループB時代を締めくくったのだった。

WRC名車列伝のバックナンバー

プジョー 205T16 EVO2(1986年)

●全長×全幅×全高:3825×1680×1405mm
●ホイールベース:2475mm
●車両重量:890kg
●エンジン:直列4気筒DOHC ターボ
●排気量:1774.6cc
●ボア×ストローク:83.0×82.0mm
●最高出力:450ps/8000rpm
●最大トルク:490Nm/5500rpm
●駆動方式:4WD エンジンミッド横置き 
●トランスミッション:5速MT/6速MT
●サスペンション:前後ダブルウイッシュボーン
●車両規則:グループB

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