1999年のツールドコルスで復帰したプジョーは、日本車全盛のWRCに衝撃を与えることになった。しばらくWRCでの活動を休止していたプジョーは、206WRCで2000年からマニファクチャラーズを3連覇、再び黄金時代を築くことに成功する。(タイトル写真は2001年キプロスラリーのマーカス・グロンホルム)

グループAのWRカー規定のもとで誕生した206 WRC

1986年限りでのグループB規定の廃止によってWRCから撤退することになったプジョーだが、それでもラリー活動を皆無にしないところがさすがはヨーロッパのメーカーであった。

現役を引退していた名ドライバー、ジャン-ピエール・ニコラをカスタマー部門の指揮官に任命し、グループA時代以降も309GTiや306S16をベースとしたラリーカーを開発。プライベーターに販売して細々と命脈を保っていたのだ。

その活動が再び注目を集めるようになったのは、大幅な改造が許されるWRカー規定が制定されたのがきっかけ。

プジョーがこの新規定向けに開発した306マキシは、2WD・NAエンジンながら、ターマックラリーでは時に4WDターボカーを凌ぐパフォーマンスを披露して見せた。参戦チーム体制も、表面上は南フランスのプライベーターが運営するという体裁だったが、プジョースポール本体のエンジニアが常に帯同するなど、ワークス並みと言える状況に周囲の期待は高まった。

そして、1998年秋、ついにその時は訪れる。9月のパリサロンで名車205の後継206がお披露目されると、時を同じくして、206WRCでのWRC復帰がアナウンスされたのだ。プジョーはWRカーの全長規定の最低4m(当時)をクリアするために、206 S16のバンパーを延長した206GTを発売するなどの力の入れようで、WRC活動に全力投球した。

コラード・プロベラの監督のもと、1999年のツールドコルスでデビューした206WRCは、コンパクトな車体に405のツーリングカーで実績のあった2Lユニットをベースとしたエンジンを搭載。Xトラック製のギアヤボックスは縦置き配置、ダンパーはプジョースポール自製という斬新なパッケージングであった。

テクニカルディレクターは元TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のミシェル・ナンダン。エンジンチューナーのピポ・モチュールにもやはり元TTEのスタッフが協力するなど、王者トヨタのノウハウも息づく206WRCはデビュー早々にまずはターマックで速さを発揮した。

2年目の2000年には、エンジンのパワーアップとブレーキ性能の向上、自社製ダンパーの熟成、さらにはグラベルを得意とするフィンランド出身のマーカス・グロンホルムの急成長もあって、ターマックだけでなくグラベルでもライバルを圧倒。マニュファクチャラーズ/ドライバーズタイトルを獲得することなった。

2001年はドライバーズ選手権こそスバルのリチャード・バーンズに奪われたものの、マニュファクチャラーズ選手権は連覇。翌2002年はアクティブアンチロールバーの採用やサスペンションの改良、空力面のアップデートなどで圧倒的な力が復活してダブルタイトルを獲得し、WRCに再びプジョーの時代を築いたのだった。

画像: 2002年のツールドコルス。ジル・パニッツィが優勝、206WRCが1-2-3を独占した。

2002年のツールドコルス。ジル・パニッツィが優勝、206WRCが1-2-3を独占した。

WRC名車列伝のバックナンバー

プジョー 206 WRC(2000)主要諸元

●全長:4005mm
●全幅:1770mm
●ホイールベース:2468mm
●車両重量:1230kg
●エンジン:直列4気筒 DOHCターボ
●排気量:1997.5cc
●ボア×ストローク:85.0×88.0mm
●最高出力:300ps/5250rpm
●最大トルク:535Nm/3500rpm
●駆動方式:4WD
●トランスミッション:6速シーケンシャル
●サスペンション:前後ストラット
●車両規則:グループA

This article is a sponsored article by
''.