Webモーターマガジンの人気連載企画「昭和の名車」が保存版MOOKとして発売された。上下巻の分冊で総掲載台数は驚きの187台。昭和30年から63年までに発売された代表的な車種をほぼ網羅した国産車の歴史絵巻だ。今回は掲載しているクルマたちのちょっと意外なトリビアをいくつかご紹介しよう。

グロリア〜実はスカイラインの派生車だった

昭和34年に発売されたプリンス・グロリア(BLSI型)は、スカイラインの派生車としてその歴史をスタートさせている。前年の東京モーターショーにスカイライン1900として出品されたことからわかるとおり、ボディやシャシなどのメカニズムはスカイライン用そのままである。 ただし内外装の一部により贅沢なパーツを採用して、スカイラインより上位に位置するクルマであることをアピールした。また、初の3ナンバー車(当時は 1.5L以上は3ナンバーだった)であることでも注目を浴びた。 昭和37年まで、プリンス自動車はグロリア/スカイラインを共用ボディとし、豪華仕様の方をグロリアとしていた。別ボディとなり、S50系スカイラインと、 S40系グロリアに分かれるのは38年からであった。

画像: 当初はスカイライン1900として発売される予定だった初代グロリア。

当初はスカイライン1900として発売される予定だった初代グロリア。

サニー〜車名は公募で決まった

サニーは、日産としては初めての 新型車車名公募キャンペーンを実施した。ティーザー キャンペーンを展開するのは現在では珍しいことではないが、当時としては画期的なマーケティング戦略だった といえるだろう。 800万通を超える応募の中から「サニ ー」という車名が決定されたわけだが、その発表会は昭和41年(1966年 )2月に東京・千駄ヶ谷にあった都立体育館(当時)で開催され 、そ の発表会には日産自動車の創業者である鮎川義介も立会人を務めたという。

画像: 一般公募によって車名が決まった初代ダットサン・サニー1000。

一般公募によって車名が決まった初代ダットサン・サニー1000。

ファミリア ロータリークーペ〜オーバーレブを教える警報ブザーが付いていた

ロータリーエンジンはピストンの往復運動とは違いローターハウジングの回転運動のため、静粛性が高く、またトルクの盛り上がりがレシプロエンジンとは異なっていた。そのため、オーバーレブを防ぐべく、 エンジン回転が7000rpmを超えるとブザーで警告するシステムを装着していた。 このシステムはその後、多くのロータリーエンジン搭載車に採用されていく。

画像: 天井知らずにスムーズに回るロータリーエンジンに警報ブザーは必需品か。

天井知らずにスムーズに回るロータリーエンジンに警報ブザーは必需品か。

ホンダ1300〜エンジンはF1マシン譲り?

ホンダの小型乗用車市場への本格的参入となったの が1300セダンである。F1マシン「RA302」と同じ設計思想の強制空冷エンジンには、強制的にエンジンオイルを循環させるドライサンプ方式などレースに直結した独創的な技術を満載したが、先進的過ぎて販売はイマイチ。この経験をふまえて、ホンダは以後、合理的で効率の良い2ボックススタイルのクルマ造りへ方向転換。初代シビックほか、シビックシンプル路線に切り替えて、小型乗用車市場で大成功を収めることになる。

画像: RA302型F1マシン用エンジンの設計思想を継承した高回転・高出力型エンジンを搭載したホンダ1300 99S。

RA302型F1マシン用エンジンの設計思想を継承した高回転・高出力型エンジンを搭載したホンダ1300 99S。

ホンダZ〜軽自動車初の5速MTを採用

実用一点張りだった軽自動車の世界に所有する歓びを喚起する付加価値的要素を加えてデビューしたのがホンダZ。コクピットは航空機さながらのムードを演出していたが、2+2の室内は外から見るよりはるかに広かった。また、GSグレードにはは軽自動車初の5速MTを採用。 シフトパターンはレーシングタイプと凝ったもので、 スペシャリティ色がきわめて濃かった。

画像: 実用一点張りの軽自動車の世界に新風を吹き込んだホンダZ。

実用一点張りの軽自動車の世界に新風を吹き込んだホンダZ。

スカイライン〜丸テールは2000GTだけではなかった

ケンメリの丸形4灯テールは直6エンジンを搭載した2000GT系にのみ採用されたアイコンとされている。対して4気筒系は角形を左右に12個並べたタイプで、これをして2LのGT系とそれ以外という区別が一般的ではある。果たしてそうだろうか? 今となっては知る人ぞ知る存在かもしれないが、実は4気筒モデルにも丸形テールランプは存在した。「スポーティ GL」と いう4気筒エンジン(1.6L&1.8L)を搭載したスポ ーツグレードがそれで、“丸テール”やタコメーター などGTに準じた装備が採用されていたのだ。ノーズの長さこそ異なるが、リアから見ると「GL」 のエンブレム以外、ほとんど識別できない。

画像: 1.8Lの4気筒SOHCエンジンを搭載するも、外観はノーズの長さを除けば2000GTと見紛う1.8スポーティGL。

1.8Lの4気筒SOHCエンジンを搭載するも、外観はノーズの長さを除けば2000GTと見紛う1.8スポーティGL。

ブルーバードU〜510型との併売だったため「U」のサブネームが付く

610型ブルーバードには「U」のサブネームが付けられたが、これは610型発売後も先代の510型がしばらく併売されたためである。Uはユーザー・オリエンテッドの意も込められているが、生産台数は510 型の155万2263台に対し、610型は105万263台と大幅にダウンした。

画像: 2Lの6気筒エンジンを搭載した2000GTもラインアップした610型ブルーバード。

2Lの6気筒エンジンを搭載した2000GTもラインアップした610型ブルーバード。

セドリック・ターボS〜省エネの衣を羽織ることでターボが実現

自動車を製造し販売するためには、メーカーが型式認定を運輸省(当時)から取得しなければならない。 当時は「ターボ=パワー」のイメージが先行していて、世を上げた省エネブームの中ではとても認可など下りそうになかったが、ターボの特質である「排気エネルギーの再利用はエンジン効率を高める」という点を、うまく省エネに結びつけることで、見事にターボの認可を勝ちとった。前例があれば後は雪崩のごとく...というわけで、このセドリック ター ボ登場以降、日本車にターボ時代の幕が開いた。

画像: ハイパワーではなく“省エネ”を謳うことで初めてターボ車の認可を取得したセドリック。

ハイパワーではなく“省エネ”を謳うことで初めてターボ車の認可を取得したセドリック。

サバンナRX−7〜米国ではポルシェ 924と同価格

米国市場では同じ国産の日産フェアレディZを始め、トヨタスープラ、ポルシェ944、924がRX-7のライバルだった。2代目サバンナRX−7(FC3S型)は発売当初から米国ではポルシェよりも評価が高く、事実、ポルシェ924S(日本では530万円以上で売られていた)と同じ価格で売られていた。昭和60年当 時、最高グレードのGTリミテッドスペシャルエディションでさえ360万円だった日本では考えられないことだった。

画像: 世界に通用するスポーツカーを目指して開発された2代目RX-7。海外でも高く評価された。

世界に通用するスポーツカーを目指して開発された2代目RX-7。海外でも高く評価された。

このほか、さまざまなトピックをぎっしり詰め込んだ「昭和の名車 大全集(上巻・下巻)」。ぜひご覧下さい。

画像: 「昭和の名車・上巻」は本体価格1800円+税(全180ページ:107台掲載)、「昭和の名車・下巻」は本体価格1682円+税(全148ページ:80台掲載)にて好評発売中。お近くの書店、もしくは電子書店でお買い求めください。

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