比類なき国産スポーツカーを開発する─その極秘プロジェクトの存在が発覚したのは、20世紀が終わり新たな世紀を迎えたころ。およそ9年後に公開された市販車は、国産車最高額となる3750万円。その価格もさることながら、国産車の常識を超えた本物の“スーパープレミアムスポーツカー”の登場に世界中が驚愕したのは、まだ10年前のことだ。

レクサスLFA ミニヒストリー

その壮大なプロジェクトは、公式には平成12年(2000年)から始まったことになっている。しかし、実はそれ以前、1990年代後半から次世代スポーツカーに関するさまざまな先行プロジェクトは存在していた。その地道な研究が実現に向けて走り始めたのが平成12年(2000年)の前半。途中、さまざまな困難に直面し、プロジェクトの中断も検討されたが、継続の後押しをしたのは豊田章男副社長(当時)だったという。

平成12年(2000年)

11月: 基本パッケージング決定。当初はエンジンをV8とする方向で検討したが、2002年から参戦予定だったF1のイメージを盛り込むため専用開発のV10に決定。またエンジン搭載位置と駆動方式はMRとFRが検討されていたが、限界域のコントロール性を重視してリアトランスアスル方式を採用したFRとされた。

画像: 開発の初期段階からスペースレーム+モノコックキャビンのボディ構造と、V10エンジン &リアトランクアクスルの採 用を想定。ボンネット高を抑え、 前後重量配分を最適化するた めラジエータはリアエンドに移された。

開発の初期段階からスペースレーム+モノコックキャビンのボディ構造と、V10エンジン &リアトランクアクスルの採 用を想定。ボンネット高を抑え、 前後重量配分を最適化するた めラジエータはリアエンドに移された。

平成13年頃(2001年)

最初の空力テスト。5分の1サイズのクレイモデルを使い、 全体のシェイプと空力特性の見直しを行う。

平成14年(2002年)

12月:最初のV10エンジン試作機が完成。排気量は未確定で、暫定的に4.5Lでテストが開始された。

画像: 当初はV8エンジンの搭載を予定していたが、プロジェクト発足初期にV10に変更。開発中はさまざまな排気量が試されたが、最終的に4805ccに決定した(写真:市販型LFAに搭載された1LR-GEU型V10DOHCの分解写真)。

当初はV8エンジンの搭載を予定していたが、プロジェクト発足初期にV10に変更。開発中はさまざまな排気量が試されたが、最終的に4805ccに決定した(写真:市販型LFAに搭載された1LR-GEU型V10DOHCの分解写真)。

平成15年(2003年)

3月:最初の試作シャシが完成。カーボンを多用した量産車とは異なる総アルミのスペースフレーム&キャビンという構成。実はまだ通常のマニュアルシフトだった。

平成16年(2004年)

10月:ニュルブルクリンクで走行テスト開始。ここで失敗すればプロジェクトは潰えてしまったかもしれない。

画像: 先行一次試作車のニュルテス トをとらえたカット。アルミキャビンで、搭載エンジンの排気量は4.5 Lだった。ウイングは固定式でミッションはまだマニュアル変速だった。

先行一次試作車のニュルテス トをとらえたカット。アルミキャビンで、搭載エンジンの排気量は4.5 Lだった。ウイングは固定式でミッションはまだマニュアル変速だった。

平成17年(2005年)

1月:デトロイトショーに最初のコンセプトカー「LF-A」を出品。もっとも、この段階ではまだ正式な量産計画の決定は下りていなかった。
5月:カーボンキャビンへの変更を決定。より軽く、強度の高いカーボンを使うことを決断。一方で、アルミキャビ ンの試作車でニュルの走り込みも10月まで継続して実施。
11月:正式な商品化プロジェクトとしてようやく承認される。

画像: 平成17年のデトロイトショーで初めてコンセプトカー「LF-A」を公開。同年の東京モーターショーにも出品されたが、この段階ではまだ正式な市販計画はなかった。

平成17年のデトロイトショーで初めてコンセプトカー「LF-A」を公開。同年の東京モーターショーにも出品されたが、この段階ではまだ正式な市販計画はなかった。

平成18年(2006年)

4月:さらなる運動性能の向上とともに、耐久性と信頼性を獲得するためにニュルでのテストが 続けられる一方、 数々の問題が明らかに。

画像: 初のCFRPキャビンを採用した先行二次試作車。エンジンは4.8Lに排気量アップ、マニュアルシフトからASG パドルシフトへの変更、アクティブリアウイングの採用など新たなテクノロジーを続々と採用する一方、解決すべき課題も山積した。テストは同年10月まで続けられた。

初のCFRPキャビンを採用した先行二次試作車。エンジンは4.8Lに排気量アップ、マニュアルシフトからASG パドルシフトへの変更、アクティブリアウイングの採用など新たなテクノロジーを続々と採用する一方、解決すべき課題も山積した。テストは同年10月まで続けられた。

平成19年(2007年)

1月:デトロイトショーに「LF-A」の進化版を出品。全幅と全高は量産車と同じで、ショーカー用のデザインが施さ れていた。
4月:ついに商品化が正式に承認された。
6月:前年のニュルテストで明確になった数々の問題点を解決した先行三次試作車を再びニュルに持ち込む。ハン ドリングとバランスの熟成をテーマに、平成20年(2008年)11月まで継続して走り込みを行ったほか、イタリアのナルド試験場では耐久試験のほか高速安定性テストも行った。

画像: 平成19年(2007年)のデトロイトショーに「LF-A」の進化版を出品。ずでに全幅と全高は市販型と同じで、ショーモデル用のデフォルメが施されていた。この3カ月後、ついに正式に市販が決定された。

平成19年(2007年)のデトロイトショーに「LF-A」の進化版を出品。ずでに全幅と全高は市販型と同じで、ショーモデル用のデフォルメが施されていた。この3カ月後、ついに正式に市販が決定された。

画像: 初の耐久試験をニュルとナルドで実施。剛性バランス が整うことで、スタビリティとステアフィールも大きく向上 した。その結果、ナルドでは最高速度322km/h以上を 達成した。

初の耐久試験をニュルとナルドで実施。剛性バランス が整うことで、スタビリティとステアフィールも大きく向上 した。その結果、ナルドでは最高速度322km/h以上を 達成した。

平成20年(2008年)

1月:デトロイトショーでオープントップモデル「LF-A Roadster」を公開。
5月:ニュルブルクリンク24時間耐久レースに「LF-A」として出場。

平成21年(2009年)

10月:東京モーターショーで量産車を公開、併せて販売概要を発表。車名は「レクサス LFA」で価格は3750万円相当。生産期間は平成22年(2010年)12月〜平成24年(2012年)12月。世界限定500台。発表当時、当時の国産車最高価格ということでも話題となったが、 3750万円〜でも収益を上げることが難しいことは一目瞭然だ。それを押して実現してしまったLFAという存在は、実に神々しい。比類なき国産スポーツカー。もう二度とこんなクルマは現れないだろう。

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