1974年にデビュー以来、コンパクトFF車のベンチマークであり続けるフォルクスワーゲン ゴルフ。日本でも間もなく8代目となる新型が発表されるが、その前に初代から現行型までのゴルフを振り返ってみたい。第2回は初代ゴルフをデザインしたジョルジェット・ジウジアーロについて語ろう。

ジウジアーロのデザインが初代ゴルフを特別なクルマにした

画像: ウィンドー類の四隅にはRが付けられ、窓枠やベルトラインはメッキのモールで飾るなど、細部の処理に凝っている。

ウィンドー類の四隅にはRが付けられ、窓枠やベルトラインはメッキのモールで飾るなど、細部の処理に凝っている。

フォルクスワーゲン社のデザイン部門は、ゴルフの開発が始まる1960年代末の時点で、まだ体制があまり整っていなかった。そのため当時の会長クルト・ロッツは、外部のデザイナーに協力を仰ぐことにした。ロッツ会長は1969年のトリノ モーターショーに作品を出展していたカロッツェリアを検証し、ジョルジェット・ジウジアーロに白羽の矢をたてた。

ジウジアーロはちょうど1968年に独立し、デザイン工房のイタルデザインを立ち上げたばかりで、まさに新進気鋭のデザイナーだった。まだ30代になって間もないという若さだったが、既にベルトーネやギアで実績を積んでおり、当時脚光を浴びていたミッドシップエンジンのスーパースポーツカー(いわゆるスーパーカー)で先鋭性やスター性を発揮していたかと思えば、地に足の着いた実力が求められる小型実用車でも実績を残していた。ゴルフはまさに小型実用車だから適役だったし、後に巨匠とも呼ばれる彼は、フォルクスワーゲンの新時代を託す人物としてふさわしかった。

ジウジアーロはポルシェ社が開発したEA266などを除く、フォルクスワーゲン社自らが開発する次世代FF新型車のすべてを手がけることになり、そのなかでも真打ちとなるのがゴルフだった。だが、パサートは途中でアウディ80ベースに変更され、ジウジアーロはボディの一部の手直しだけの仕事となってしまった。それでもシロッコは、ほぼ全面的にジウジアーロの提案が採用されたといわれている。

ゴルフについても、限られた短時間でデザインしたジウジアーロの造形がほとんど生かされた。ただフォルクスワーゲンが修正させた部分もあり、それについて彼は少し不満をもらしてもいるが、その修正がゴルフの大成功を後押したのも確かである。

ゴルフのデザインの特徴は、まずは当時、新時代のスタイルであった2BOXを採用したこと。これはとくにジアコーザ式と呼ばれるエンジン横置き式FFを採用したことが重要で、さらにリアまわりの効率的な設計方式と合わせて、非常に短い全長が実現された。ホイールベースはビートルと同じ2400mmだが、全長はビートルの約4000mmに対して約3800mmしかなく、しかもはるかに広い室内や荷物スペースを実現した。この基本設計はジウジアーロの仕事ではなく、彼自身も空間効率の高さに驚いたと後に語っている。

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