2008年3月2日、MINIのボディをストレッチしたMINIクラブマンが日本に上陸した。MINI、MINIコンバーチブルに続く、このMINI第3のモデルはどんな魅力を持っていたのか。Motor Magazine誌では3ドアのMINIと比較しながらじっくりと考察、その模様を振り返ってみよう。(以下の試乗記は、Motor Magazine 2008年4月号より)

受け継いだ伝統を巧みにアップデート

日本市場においての、MINIの尋常ならざる勢いは未だ衰えていない。個人的にはそう思っている。

もちろん数字だけを見れば、確かに往時に対して若干の陰りもあるだろう。が、考えてみればこんな特殊なナリの2ドアのコンパクトカーが、しかもユーザーの大半がある程度のオプションを選択していて客単価が300万円くらいになるコンパクトカーが、月に1000台も売れているということ自体、特異なことだ。

果たして日本の自動車メーカーに、同様の縛りをもって商品企画ができるだろうか。仮にできたとしても、それを何年も同じような勢いで続けることができるだろうか。ユーザーから300万円を取るコンパクトカーといえばブレイドマスターくらいしか思い浮かばない有り様では、この現象は咀嚼し吸収することもままならないのではないだろうか。

類する話として、これほどクルマが売れないと嘆いている日本市場で、伝統と革新の両方を持ち合わせたMINIに吹いた神風は、多分、通り一辺倒なマーケティング論では解けないものだと思う。月1000台が局地的でなく、日本の津々浦々で満遍なく売れているという背景には、デザインビジネスの要素もキャラクタービジネスの要素もネットビジネスの要素も隠れている。一見カビくさいことが大好きそうなイギリス人は、そういう商売の鍵をMINIの周縁に上手に仕込んだわけだ。

そんなMINIも登場から6年。強く意識しなければわからないようにフルモデルチェンジされたのは昨年だが、そろそろ既存のユーザーのケアも商売的には考えなければならない時期だ。個人的には旧型のオーナーが現行モデルに慌てて乗り換える必要もないと思うが、旧型のオーナーの中にはある程度距離を積んで買い換えの時期を迎えている人もいるだろう。中にはそのまま新型に入れ替えというのも芸がないと思っている人がいても不思議ではない。

わざわざそれを選んで買った人にとっては他に代え難い満足度を供しているMINIの数少ない弱点のひとつは、居住性や積載力といった容量の問題だ。しかしそれを解決すべくただ単に大きくしたのではMINIの意味がない。そんな彼らには好運にも、まだ手をつけていない先達からの財産があった。それが第三のMINIとなるクラブマンというわけだ。

オリジナルミニがオースチンとモーリスの手に委ねられていた1960年、ミニトラベラー/カントリーマンは居住性と積載力という市場の要望に沿って登場した。全長で240mm、ホイールベースで80mm伸ばされたボディは、リアシートが簡単に折り畳めて長尺物が積めることもあり、レジャー指向のユーザーだけでなく、仕事のお供というコマーシャルバン的なニーズも満たしていた。

ちなみにクラブマンというのは1969年に登場したオリジナルミニの派生モデルに与えられた名前で、当時のトレンドらしいらしいボクシーな印象の顔を持つ、言ってしまえば時代に無理矢理フィッティングさせるがためのグレードだった。クラブマンにはワゴン版も存在したが、こちらはエステートという一般的な名前が与えられている。

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