世界中の人達が新型コロナウイルスの感染拡大による未曾有の事態を経験することになった2020年に、マツダは100周年を迎えた。広島への原爆投下をはじめ、これまでの100年を振り返れば、この緊急事態もひとつの「歴史」として、今後長きに渡り、語り継がれることだろう。そこでマツダの100年、社史編纂(へんさん=さまざまな材料を集めて整理し、書物を制作すること)を前編後編に分けて紹介する。

手に取りたくなるような社史でマツダの魅力をもっと伝えたい

世界中の人にとって2020年は特別な年になったが、じつはマツダにとっても創立100周年という特別な年でもあった。この節目事業の一環として、社史を編纂(へんさん=さまざまな材料を集めて整理し、書物を制作すること)することだ。この事業に自ら手を挙げ作成メンバーとなった、温品(ぬくしな)さんに、社史編纂の苦労話しなどを伺った。

子供のころから古い時代のクルマが好きだった温品さんは、小学生の時から3輪トラックを見たら追いかけて、写真を撮っていたほどのカーマニアだった。

「スーパーカー世代ですからね。写真だけじゃわからなくて、本や雑誌を読んだりして詳しくなっていきました。心がマツダに引き寄せられたのは、学生時代にグループCのレースを富士スピードウェイへ見に行ったときです。耳をつんざくロータリーサウンド、そしてオレンジとグリーンのチャージカラー。サーキットで一番存在感を放ってました」

そのときのマツダは、勝つためにレースに参加しておらず、技術を実証するために参加していることに温品さんは心を打たれたそうだ。そして、その技術を市販モデルに反映させるマーケティングなど、本を読んで大いに感化されたという。

「地元の山口県に近い企業ですが、あのときレースを見に行っていなかったら、マツダに入社してないかもしれません。さらにマシンの調子が悪くてレースに出場していなかったら、日産のV8サウンドを好きになっていたかもしれません。当時の記憶、そしてあの熱気が、今の編纂作業に生かされているかもしれませんね。

社史編纂にあたり、他社の社史なども見てみましたが、分厚いものが多く、資料集との2冊セットがほとんどでした。マツダの社史は、こうではなく、気軽に読んでもらえることを心がけました。なので電車の中でも読めるようなサイズにしようと考えました。しかし、ただ小さいだけの簡易版、要約したまとめでは意味がありません。そうではなく、よそとは違う個性溢れる、一味も二味も違う小冊子にしたい。マツダのブランドを小冊子で!という感じで企画がスタートしました」と温品さん。

画像: 終戦後、街中を走る三輪が珍しくなくなっていた。各メーカーが積載量やパワーを競い、価格競争をする中、マツダは「デザイン性」を取り入れたモデルを発売した。

終戦後、街中を走る三輪が珍しくなくなっていた。各メーカーが積載量やパワーを競い、価格競争をする中、マツダは「デザイン性」を取り入れたモデルを発売した。

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