一見奇抜なデザインだったり、そこまでしなくてもと思うほどの走行性能だったり、使い切れないほど多機能だったり・・・こうした強い個性を持つクルマはこれまで数え切れないほど登場し、数年で消えていくこともあった。ここでは数ある星の中から1990年代〜2000年代に登場した「個性が強すぎる」国産車にスポットライトを当てて解説していこう。今回は1990年に発売されたマツダのコンパクトカー「オートザム レビュー」だ。

オートザム レビュー(1990〜1998年)

オートザム(最後はマツダ)レビューはバブル景気真っ盛りの1990年9月に登場した。マツダの5チャンネル構想とかいう大風呂敷?の一部だったオートザムの販売車種は、1989年のスタートから1年以上もの間、軽自動車のキャロルと、輸入車のランチア、それもテーマしかなかったのだが、ようやく待望の小型車(小型過ぎたかも)が投入されたのだ。

画像: チープシックでシンプルなインテリアは、ヨーロッパのベーシックカーのようだった。

チープシックでシンプルなインテリアは、ヨーロッパのベーシックカーのようだった。

レビューはコンパクトな3ボックスセダンだ。全長×全幅×全高=3800×1655×1495mmで、ホイールベースは2390mm。今でいうAセグメント級で、短い全長の割りに全幅は5ナンバー級、全高は高めと言うサイズを持つ。デザイン的には丸みを帯びたもので、メーカーいわく「ハイコンパクト2.5ボックスセダン」とある。ちょっとファニーなマスクやコロンとしたリアまわりは、完全に女性ユーザーをターゲットとしていた。そう、まだ女性に媚びることがウケると思われていた時代のこと。ある意味、正攻法だったといえよう。

だが、インテリアのレイアウトは進んでいた。短い全長にもかかわらず4座(定員は5名)ともにアップライトなポジションとしていた。今なら普通なことだが、30年以上前にこれは斬新だった。全高を大きく取っていたので頭上も余裕があり、座ればコンパクトであることを忘れさせてくれた。ちょこっと突き出た感じのトランクだったがスーツケースをしっかり2個収めることができ、さらにリアシートバックは5対5分割可倒としていたため、オッと思うほど多くの荷物を積載することが可能だった。

こうした意外性もポイントが高かった。装備的に注目されたのは、3ウエイスライド式のキャンバストップだ。前方だけ、中央だけ、後方だけと自在にルーフの開閉を可能としていたこの装備も、女性のウケが特に良かった。

エンジンは1.3Lと1.5Lの4バルブSOHC 4気筒。電子制御キャブ仕様で前者が76ps、後者が88psを発生していた。トランスミッションは5速MTがベースで前者に3速AT、後者に電子制御4速ATを組み合わせていた。その走りはというと、どっちも普通。強いて言えば後者の方がトルクフルなので、街中で楽だった、という程度の違いだ。800kg台後半という、いま考えれば軽量なボディのおかげで、非力な感じは薄かった。もっとも、パワフル感もあまりなかったが・・・。

フレンチコンパクトの雰囲気で、欧州では人気者に

このレビューは「マツダ 121」として輸出もされた。ヨーロッパでは「醜いアヒルの子」の愛称で人気となる。そう、カッコ良くはないものの、コンパクトで合理的なレイアウト設計による高い実用性が認められたのだ。加えてトルク重視で扱いやすいエンジンも好評。これで5速MTを駆使すれば非力感すら払拭することができた。足まわりはしなやか系に仕立てられていたから、フランス車的な快適性が、ことヨーロッパでは人気となっていたのである。

画像: リアのノッチは短いが、トランクは意外と広くスーツケースを2個収めることができた。

リアのノッチは短いが、トランクは意外と広くスーツケースを2個収めることができた。

翻って日本。女性向けとしたことでまあまあの評価を受けたもののヒット作にはならず。つまり、これというポイントに欠けていたのだ。先行したフェスティバGT-Xに搭載していた1.3L版DOHCのように、ちょっとしたスパイスでもあれば広がりがあったのかもしれない。クルマの仕上がりはすこぶる良かっただけに、1998年までに約5万8000台の販売で終えたのは残念だった。とはいえ、レビューのプラットフォームの良さは、1996年8月に登場するデミオに受け継がれてヒット作となり、面目躍如を果たすのだった。(文:河原良雄)

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