一見奇抜なデザインだったり、そこまでしなくてもと思うほどの走行性能だったり、使い切れないほど多機能だったり・・・こうした強い個性を持つクルマはこれまで数え切れないほど登場し、数年で消えていくこともあった。ここでは数ある星の中から1990年代〜2000年代に登場した「個性が強すぎる」国産車にスポットライトを当てて解説していこう。今回は、タクシー専用車から実用派高級車に変身して話題となった「日産 クルー サルーン」だ。

日産 クルー サルーン(1994年〜2002年)

クラウンやセドリックなど高級車系の乗用車をタクシーにすることはあっても、その逆、タクシー仕様のクルマを乗用車、それも高級車に転換することはまずありえなかった。それを「あり」にしたのが、日産のクルー サルーンだった。

画像: まずタクシー専用車として登場した日産 クルーは、1994年、一般ユース向けに改良されて「日産 クルー サルーン」としてデビューした。

まずタクシー専用車として登場した日産 クルーは、1994年、一般ユース向けに改良されて「日産 クルー サルーン」としてデビューした。

まずは1993年7月にクルーのタクシーが登場する。「クルー=仲間」が示すようにまさしく「働く仲間」というべきクルマだった。

エンジンはLPG仕様の直4とディーゼルの直6という設定。そして、翌1994年1月に乗用車たるクルー サルーンがデビューする。謳い文句は「正統派5ナンバーセダン」、「新しいタイプの高級車」だった。

もともと基本がタクシー仕様とあって、フロントまわりのパーツにはC32型ローレル用のものを使い、キャビンとフロアにはY31型セドリックのタクシー仕様が流用されていた。デザインは典型的な3ボックスセダン。直線基調でサイドの見切りが良く運転がしやすい設計だ。タクシーが基本ゆえリアドアは左側が5cm大きい左右非対称としていた。「そりゃそうだ」と納得。

エンジンは2L版直6SOHCを縦置きで搭載し、リアを駆動するオーソドックスなFRとした。パワーは130psと控えめながら、車重が1240~1260kgと比較的軽かったため必要にして十分だった。組み合わせるトランスミッションは5速MTか4速AT。ATは当時主流の電子制御式のE-ATではなく、ちょっと効率は劣るものの信頼性のあるメカニカルタイプを用いていた。

サスペンションはフロントがストラット式独立、リアが4リンク/コイル式リジッドだった。そう、作りはあくまでコンベンショナルだったのだ。

サイズは全長×全幅×全高が4595×1695×1460mmと5ナンバー枠ぎりぎりで、ホイールベースは2665mmとしていた。タクシー狙いだけあって後席はゆったりとした定員5名設計だった。

真面目一辺倒の実用パッケージは、カスタムベースとしても注目された

ただ、ユーザー像は掴みづらかった。左後席の乗降は大きめのドアで楽ではあるものの、「だからどうした?」という程度。セダン需要を考えるとフツーの4速ATでは物足りず、かといって「あえて5速MTとするのはどう?」となっていた。肝心のエンジンパワーも「直6といっても2Lじゃあね」だった。

画像: 5ナンバーサイズのボディで、まじめに使いやすさを考えて開発されたクルー サルーン。前後左右のピラーを立てて、空間効率を追求、実用面で最適なパッケージングとしていた。

5ナンバーサイズのボディで、まじめに使いやすさを考えて開発されたクルー サルーン。前後左右のピラーを立てて、空間効率を追求、実用面で最適なパッケージングとしていた。

真面目一辺倒の実用的パッケージで、160~200万円というリーズナブルな価格が魅力だが、積極的にこのクルマを選択するにはアピールポイントに欠けていた。

そこで、その魅力を強化すべく1994年5月には94psの2.8L版SOHCディーゼルを搭載するも人気上昇とはならず。その後、エアバッグやゾーンボディなど安全性向上を図るも同様だった。自動車学校の教習車や後席優先ゆえのパトカーとしての需要はコンスタントにあったが、数は知れていた。

1996年2月には光岡自動車からクルー サルーンをベースにしたクラシカルなモデル、ガリューが登場。その特異なスタイリングが注目を集めたのは皮肉だった。本家のほうは2002年6月には生産を中止。LPG仕様のタクシーは2009年6月まで生産が続けられた。

生産中止後、RB系直6エンジン搭載とあって、DOHCやターボなどに換装するチューニングベースとしてマニアの間で注目されることになる。とは言っても絶対数が少なかったため、爆発的な人気とはならなかった。(文:河原良雄)

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