バブル時代、一世を風靡した日産「パイクカー」の数々。Be-1を筆頭にレトロ調のデザインが人気を博した。では、その「パイクカー」とはいったい何なのか? 自動車の歴史に詳しい遠藤一満氏が語る。
画像: 1985年の第26回東京モーターショーに参考出品された日産パイクカー戦略第1弾がBe-1。圧倒的な支持を得て1987年に限定1万台で発売、瞬く間に売り切れた。マーチをベースに開発された。

1985年の第26回東京モーターショーに参考出品された日産パイクカー戦略第1弾がBe-1。圧倒的な支持を得て1987年に限定1万台で発売、瞬く間に売り切れた。マーチをベースに開発された。

パイク=槍。パイクカーは実験的な試みだった

パイク(pike)とは「槍」のこと。クルマの場合、既存のシャシを使っていかに多彩なデザインを生み出せるかという、実験プロジェクトの意味合いが強い。

その好例が、1987年に日産が提案したBe-1だ。限定1万台を2カ月で予約終了するほどの反響を呼び、港区青山にBe-1グッズを販売するBe-1ショップを出店したことでも話題となったのはご存じの通り。

一世を風靡した1987年発売の「Be-1」

そもそもの発端は、当時日産のデザイン主管だった清水 潤氏の危機感だった。彼は逼塞感のあった日産デザインを打破するため、社外の人間も巻き込んだデザインコンペを提案。1984年末にはマーチのシャシをベースに、日産社内のA案、コンセプトをアパレル関係で注目されていたウォータースタジオの坂井直樹氏に依頼したB案、ピニンファリーナ出身のパオロ・マルティン氏に発注したC案が出揃った。

この時坂井はB-1とB-2の2案を提出。最終的にノスタルジック・モダンをテーマにしたB-1案が採用され、Be-1の名で1985年の東京モーターショーに参考出品される。

その後の経緯は前述の通りだが、フレックスパネルなど新素材の採用はあったものの、新技術を投入せず「かわいい」をキーワードにクルマを作ったのは「技術の日産」としては画期的な出来事だったと言っていい。

1987年の東京モーターショーで第2弾のパオがデビュー。3カ月の期間限定ながら申し込みは5万台を超えた。デザインは日産社内だが、リブの入ったサイドパネルなどはキューベルワーゲンをイメージした坂井氏の意見だったという。同時にサニーベースのバン、エスカルゴも発表されている。

画像: 1987年の第27回東京モーターショーで発表された日産パイクカーシリーズ第2弾がパオ。89年に市販化、こちらは期間限定車として登場し、最終的には5万台強が販売された。

1987年の第27回東京モーターショーで発表された日産パイクカーシリーズ第2弾がパオ。89年に市販化、こちらは期間限定車として登場し、最終的には5万台強が販売された。

1991年には第3弾「フィガロ」が2万台限定発売される。バブル全盛期に登場した優雅な電動オープントップは大人気となり、TVドラマ「相棒」の杉下右京の愛車として出演(?)。今なお根強いファンが存在する。

画像: 1989年に登場したエスカルゴ。日産パイクカーのなかで唯一の商用バン。

1989年に登場したエスカルゴ。日産パイクカーのなかで唯一の商用バン。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.