“クルマとはFRに始まりFRに終わる”なんていう人が言うように、FRにこだわりをもっている人もいるようだ。では、はじめてFRを開発した人は誰なのだろうか。どのような理由があってFRにしたのか紐解いていこう。

19世紀末、フランスで登場パナール方式として普及したFR方式

レシプロエンジンをキャビンの前に縦に置き、その後方にトランスミッションをつなげる。トランスミッションから取り出された駆動力は、プロペラシャフトによってキャビンの下を貫通し、デファレンシャル・ギアまで運ばれる。そこで縦方向から水平に力の向きが転換されてリアの両輪を駆動する。これがFR形式の概略だ。

この形式の原型は1891年にフランスのパナール・エ・ルヴァッソールが採用したのが最初で、「システム・パナール(パナール方式)」とも呼ばれ、以後、乗用車のスタンダードとなった。同社はルネ・パナールとエミール・ルヴァッソールの両氏が共同経営しており、技術的指導者はルヴァッソールだ。

画像: 1891年のパナール・エ・ルヴァッソールがFRの元祖。それまでの馬無し馬車から脱却する端緒なり(写真提供:トヨタ博物館)

1891年のパナール・エ・ルヴァッソールがFRの元祖。それまでの馬無し馬車から脱却する端緒なり(写真提供:トヨタ博物館)

それまでのクルマは、馬車の車体と同じキャビンを持ち、エンジンはその下に搭載され、エンジンからの動力はチェーンにより後方に伝達されるのが一般的だった。また、パナール・エ・ルヴァッソールの第1号車も、エンジンを車体中央に置き、乗員が背中合わせに座るという方式だった。これでは騒音や振動がひどく、問題がある。

パナール方式では、前輪に荷重がかかるので、ステアリング装置が確実に作動するメリットがあった。変速機は車両中央部に置く。ドライブシャフトは用いられていないが、トランスミッション後部でベベルギアによって回転方向が直角に換えられた中間軸に出力、プーリーとチェーンを介して後車軸が駆動されるというものだった。

エンジンがキャビンの下にあると、泥やホコリを浴びることが多いが、キャビンの前に置いてカバーをすることで保護できるのもメリットとなり、整備性も高くなった。

写真のクルマは1901年型のパナール・エ・ルヴァッソールB2。まだ後輪の駆動にチェーンを使っているが、エンジンは直列4気筒とより現代的だ。

文:飯嶋洋治

This article is a sponsored article by
''.