1960年代から1970年代にかけてトヨタの2000GTやセリカ1600GTなど、自動車のハイパフォーマンスエンジン開発に携わり、高回転高出力のDOHCヘッド量産化にも貢献したヤマハ発動機(以下、ヤマハ)。さらにトヨタとともにレース経験も積んで、次なるステップとして挑戦したのが、ヤマハ単独でのレース活動と市販車両の開発だった。「YAMAHAのお仕事」第4回は、OXシリーズだ。

本領発揮のレーシングエンジン。全日本F2を手始めに、F1用V12まで開発

歴代トヨタ7のエンジン、あるいは量産型DOHC、そのコンペティション仕様の開発など、ヤマハが持つ4輪エンジンの技術は高度なレベルにあったが、決してヤマハのブランド名で表に立つことはなかった。

そのヤマハが、少数限定供給のホンダエンジンが猛威を振るう全日本F2選手権に、独自の5バルブ技術によって作り上げたOX66型エンジンで、文字通りの殴り込みをかけた。

ヤマハ初の単独4輪参入で、トヨタと競合する可能性もなかったことから85年に参戦。ジェフ・リースがシリーズ初戦から、松本恵二が第5戦から使い始め、リースがポイント獲得者19人中の6位を獲得。翌1986年には市販され、BMW以外に選択肢のなかったユーザー層に歓迎された。松本とリースで開幕3連勝。シリーズもリース3位、松本4位と十分な戦果を上げていた。

画像: OX66は5バルブヘッドを搭載したF2用のレーシングエンジン。85年に投入して好成績を残すと、翌年には市販。プライベーターたちに歓迎された。

OX66は5バルブヘッドを搭載したF2用のレーシングエンジン。85年に投入して好成績を残すと、翌年には市販。プライベーターたちに歓迎された。

1987年には、トップフォーミュラが3L規定のF3000に移行し、ヤマハもこれに合わせてDFVベースの5バルブエンジン、コスワースヤマハOX77を開発。鈴木亜久里が第6戦菅生から使い始めて終盤2連勝。翌1988年シーズンには3勝を挙げてタイトルを獲得。亜久里をF1に送り出すステップボードとしても機能した。

画像: 1987年はF2からF3000に移行し、コスワースDFVベースに5バルブヘッドを搭載したOX77を投入。88年はシリーズタイトルを取る。

1987年はF2からF3000に移行し、コスワースDFVベースに5バルブヘッドを搭載したOX77を投入。88年はシリーズタイトルを取る。

そして1989年、ザクスピードにOX88型F1エンジンを供給。だが、DFR+ヘッド換装の構想が崩れ、すべて開発せざるを得なくなって熟成が進まず、不本意なシーズンとなった。

このため1990年を新エンジンの開発に充て、翌1991年新開発のV12、OX99で復帰。供給先はブラバムだったが、シャシとのマッチングが悪く、不本意ながらこの年も結果を残せないまま終えることになった。

一方でOX99の素性に自信を持つヤマハは、折からのバブル景気の追い風も受け、このエンジンを積むロードスポーツのOX99-11を開発・製作した。

テストカーが3台作られ、イギリス国内ではナンバーを取得して公道を走る段階にまで開発は進んでいた。しかし、バブル経済の崩壊により市販目前でプロジェクトは中止に追い込まれた。

解説:大内明彦

みんなの知ってるYAMAHAのお仕事“FZ750”【コラム】

トップカテゴリーのレースで、ヤマハが5バルブのハイテクを投入したことは大きな話題となった。その原点ともいえるのが、1985年に発売され世界初の5バルブヘッドを持つFZ750。もちろんバイクレースでも活躍した。

文:飯島洋治

画像: ヤマハ FZ750

ヤマハ FZ750

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