「サーキットの狼」が起こした一大ムーブメント
スーパーカーブームは、1975年に連載を開始した池沢さとし氏(当時)の「サーキットの狼」が起こした一大ムーブメントだった。でもその発端、実はモーターマガジン(以下MM)誌にあったのだ。
週末の夜毎、家のまわりを轟音立てて走り回るチームに業を煮やしたMM誌編集長は、ある夜ついに直談判に及んだ。そしたら何と、そのヘッドと意気投合。そんなに走りたいなら性能測ってやるから谷田部に来いよ…って話になって、それが巻頭カラーを飾っちゃったわけだ。
その記事を見た、今や超メジャーなチューニングパーツメーカーの社長が「えっ、タダでテストしてくれるの?」と、当時開発端緒のターボ車を持込んで、来るたびにガスケットを吹き飛ばして…としてるうちに、やっぱり実性能を知りたいスーパーカーオーナーが喰いついてきた。
彼はスーパーカーのオーナーズクラブに所属していたので人脈はあったし、MM誌はテストを巻頭カラーで紹介してたから、その後はいろんなオーナーが、俺も俺もとクルマ持参で参加してくれるようになったのだ。
そうこうするうちに、「サーキットの狼」がブレイクし始め、モーターマガジン社もアルバムを出したり…と、そのシナジー効果でブームは小中学生を中心に急速に過熱していく。その中でもランボルギーニ・カウンタックの人気は凄まじく、モーターマガジン社もカウンタックを購入したまではいいけど、人が集まってきすぎて会社の駐車場においておけず、管理を外部委託せざるをえなかったほど。
何にしろ、スーパーカーを並行輸入してる人がテレビでレギュラー番組を持ち、レコードを出して歌手デビューしちゃったんだから、今思うと、それは想像を絶したフィーバーぶりだったとしか言いようがない。