1980年-90年代、超ド級のレーシングカーが壮絶なバトルを繰り広げていた。最高出力1000ps、最高速400km/h、決められた燃料使用量でレースをいかに速く走り切るか、メーカーが知恵を絞ったことで様々なマシンが誕生したこともレースを面白くした。この短期集中連載では、そんなグループCカー時代を振り返ってみよう。第6回は「プジョー905」だ。

3.5L NAの新しいグループC規定として登場

1988年秋、FISAは1991年からグループC規定を改定し、搭載エンジンを当時のF1と同様の3.5L NAに限定すると発表した。

この新規定(カテゴリー1)にはポルシェは参加しなかったが、ジャガー、メルセデス・ベンツ、トヨタ、日産の既存グループC参戦メーカーがプロジェクトスタートのタイミングの差こそあれ新規定車を開発。唯一の新参入メーカーとなったのがプジョーだった。

現FIA(国際自動車連盟会長)であるジャン・トッドが率いていた当時のプジョーのモータースポーツ部門プジョー・タルボ・スポールは、205T16でのWRC活動とそれに続くラリーレイドで大成功を収めた後、新たな挑戦の場としてサーキットレースに狙いを定めており、完全新規定で各メーカーが横一線で開発をスタートする3.5L NAの新グループCはうってつけのカテゴリーだった。

いち早く1990年に完成した905は、80度V型10気筒エンジンを最新のカーボンコンポジットモノコックに搭載し、F1マシン並みのサスペンション構成と市販車のイメージを残した流麗なボディが特徴だった。

だが、1990年のテスト参戦2戦とTWRジャガーの新規定マシンXJR14に完敗した1991年のSWC(WSPCから名称変更)前半戦で空力デザインの不備に気づいたプジョーはシーズン途中でのボディの大幅なモディファイに着手。第5戦にXJR14風のボディをまとった905エボ1bisを登場させることになる。

翌1992年、ジャガーとメルセデスはSWCから撤退。プジョーは新たに新グループC、TS010を投入してきたトヨタと一騎打ちで対峙することになったが、905エボ1bisは、シリーズ、ル・マン24時間ともに圧倒的な強さで勝利。参戦メーカーの少なさからSWCが消滅した1993年も、ル・マンで発展型のエボ1Cが1-2-3フィニッシュで再度トヨタを一蹴してグループC時代の掉尾を飾った。

殊勲の将トッドはこの大勝利を手土産にスクーデリア・フェラーリの監督の就任。F1でミハエル・シューマッハとともに黄金時代を築いたのち、2009年からFIA会長となり2012年に新生のプロトタイプカーによる世界選手権としてWECの名を復活させている。

画像: 1992年SWC鈴鹿でのプジョー905。改良が加えられたエボリューション1 bis。

1992年SWC鈴鹿でのプジョー905。改良が加えられたエボリューション1 bis。

画像: SWCに本格参戦を開始したのは1991年。その開幕戦鈴鹿に登場したプジョー905(初期型)。

SWCに本格参戦を開始したのは1991年。その開幕戦鈴鹿に登場したプジョー905(初期型)。

プジョー905 エボ1 bis(1991年)主要諸元

●全長:4800mm
●全幅:1960mm
●全高:1080mm
●ホイールベース:2800mm
●エンジン型式:SA35 A2
●エンジン:V型10気筒DOHC
●排気量:3499cc
●最高出力:700ps
●駆動方式:MR

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