モータースポーツはイギリスをはじめ、ヨーロッパを中心に文化として根付いている。数多くの名ドライバーを輩出しているヨーロッパだが、北欧のある国ではかなり高い確率でF1ワールドチャンピオンを輩出している。それがフィンランドだ。今回は強烈な個性を持った3人のフィンランド人チャンピオンを紹介しつつ、フィンランドで強いドライバーが誕生している理由について迫ってみたい。

競技人口が少なくてもチャンピオンを輩出している背景

フィンランド人のF1世界チャンピオンはこれまで3人誕生している。たったの3人?と思われるかもしれないが、長いF1の歴史の中で、これまでに参戦したフィンランド人はわずか9人(うち1人は予選不通過)。つまり3分の1が世界チャンピオンになっているということ。これは、他の国に比べても高い確率を誇っている。

画像: 若干19歳でWRCに参戦し、2022年シーズンはランキングトップを独走している神童カッレ・ロバンペラもフィンランドが誇るラリードライバーだ。(第3戦終了時)

若干19歳でWRCに参戦し、2022年シーズンはランキングトップを独走している神童カッレ・ロバンペラもフィンランドが誇るラリードライバーだ。(第3戦終了時)

実際にフィンランドで盛んなモータースポーツは、ラリー競技だ。WRC(世界ラリー選手権)をはじめ、世界中のラリー競技で名ドライバーを輩出してきた。かの国の出身者たちが圧倒的な強さを誇る理由はいくつか考えられるが、まずは彼らが生まれ育った環境が大きな影響を及ぼしていると思う。

フィンランドは国内の大半を未舗装路や林道が占めており、若手のフィンランド人ドライバーたちはまさにラリーの練習に最適な場所で日々練習を行っている。さらに人気の高いスポーツということもあり、若手ドライバーの発掘や支援などが積極的に行われていることも、躍進の大きな要因と言える。

土地柄でいえば、フィンランドは凍結路や積雪路での運転が必要不可欠だ。そのため、一般の運転免許証を取得するのも厳しいとされている。そうした過酷な環境での運転には、知識に加え、たしかな運転技術が必要だ。つまりは日々運転している時にもごく自然に、危険察知能力や危険回避能力が育まれることになるのだろう。

一方で、F1のようなクローズドコースで行われるモータースポーツに関してはどうだろう。もちろん高い運転技術を習得する環境は共通する点だが、ラリーに比べると積極的に若手ドライバーの発掘・支援の活動は控え目なのかもしれない。

そうした背景もあって、F1のようなサーキットで行われるモータースポーツ人口が他の国と比べると少数派になっている可能性はある。しかしレベルの高い競争を繰り広げる中で育ち、なおかつ狭き門をくぐり抜けたドライバーは皆、類まれな素質を備えた「磨けば光る原石」揃いとも言える。それが結果的に、フィンランド人ドライバーの優秀さを強く印象付ける、ひとつの大きな理由になっているように思える。

フィンランド人F1王者は個性の塊

フィンランド人で初めて世界王者に輝いたのは、ケケ・ロズベルグだった。1982年にチャンピオンになったロズベルグはこの年、安定した成績を残し、わずか1勝でチャンピオンを獲得した。

キャリアを通じて見ればとても堅実な成績を残している選手だが、カウンターステアをあてながらのダイナミックな走りや、ヘビースモーカーでグリッド上でもタバコをふかすなどの非常に豪快なキャラクターで、多くのファンを魅了した。

画像: アグレッシブな走りでファンを魅了したケケ・ロズベルグ。

アグレッシブな走りでファンを魅了したケケ・ロズベルグ。

ケケの息子であるニコ・ロズベルグは国籍がドイツのためフィンランド人チャンピオンではないが、2016年にF1ワールドチャンピオンに輝いており、親子2代でF1を制するという偉業を達成している。

2人目はミカ・ハッキネン。1998-1999年のF1ワールドチャンピオンで、フィンランド人初の2年連続でF1を制した名ドライバーだ。F1にステップアップする前から強烈な速さを誇ったハッキネンは1991年にデビュー。ライバルであるミハエル・シューマッハがいきなりF1で活躍する中、ハッキネンは戦闘力の劣るマシンでの戦いを余儀なくされ、1995年には生死を彷徨う大クラッシュも経験した。

しかし1997年の最終戦で初優勝を達成すると1998年には戦闘力を取り戻したマクラーレンと共にシリーズを席巻した。そしてライバルのシューマッハとの一騎討ちを制し見事ワールドチャンピオンに輝いた。翌年はシューマッハがレース中の事故で負傷し、シューマッハの相棒エディ・アーバインを相手にチャンピオン争いを繰り広げ、見事連覇を達成した。

画像: 2連連続でF1を制したミカ・ハッキネン。ブリヂストンタイヤに初の栄冠をもたらし、チャンピオン決定の場はいずれも鈴鹿サーキットだった。

2連連続でF1を制したミカ・ハッキネン。ブリヂストンタイヤに初の栄冠をもたらし、チャンピオン決定の場はいずれも鈴鹿サーキットだった。

誰よりも速く、のちに7度のワールドチャンピオン獲得という金字塔を打ち立てたシューマッハが、最も強力なライバルだったと称したハッキネンだが、彼の本当の魅力は人間性にある。天賦の才能と誰にも負けないというエゴを持ち合わせなければ活躍できない厳しい世界で、ハッキネンは誰よりもフェアなレーサーだった。

自身初のワールドチャンピオンがかかった最終戦でのこと。最も緊張するスタート前、ハッキネンはシューマッハのもとに駆け寄り、フェアプレイを誓って握手を求めたのだ。もちろんラフな走りも見たことがなかったが、このようなアクションを起こしたF1ドライバーを私は未だかつて見たことがない。そんな「人格者」がF1を連覇したことは、個人的に大偉業だと思う。それほどF1は厳しい世界だからだ。

F1に現れたフィンランドのスーパースター「アイスマン」

3人目はキミ・ライコネン。2007年のワールドチャンピオンであるライコネンは2021年に引退し、現時点でF1最多出走記録を保持しているF1のアイコンと言ってもいい存在だった。F3を経験することなく飛び級でF1の世界に飛び込んだライコネンは、経験不足を指摘していた周囲の不安を一蹴する走りを見せた。

画像: 「フライング・フィン」という表現よりも「アイスマン」という愛称が有名なキミ・ライコネン。唯一無二のキャラクターで、走りだけでなく、無線のやりとりやインタビュー対応でも沸かせてくれた。

「フライング・フィン」という表現よりも「アイスマン」という愛称が有名なキミ・ライコネン。唯一無二のキャラクターで、走りだけでなく、無線のやりとりやインタビュー対応でも沸かせてくれた。

デビュー2年目には同郷の先輩であるハッキネンの後任として名門マクラーレンに移籍し、ライコネンはトップドライバーの仲間入りを果たす。誰も寄せ付けない強烈なスピードを誇り、感情を表に出さないライコネンは「アイスマン」の愛称で親しまれた。

マクラーレン時代ではチャンピオン争いに加わるもあと一歩のところでチャンピオンになれなかった。しかし、2007年にフェラーリに移籍。デビューイヤーでのチャンピオン獲得を目指すルイス・ハミルトンと当時史上最年少で連覇を果たしたフェルナンド・アロンソという強力な2人を相手に、逆転でワールドチャンピオンを獲得した。

その後2年間WRCに参戦したのち、2012年にF1復帰。無表情でそっけない態度ながら、実は家族想いで優しいライコネンは、小さい子供たちにサービスをしたり、時折り見せる笑顔が多くのファンを魅了した。2021年に引退した際には世界中のファンから労いの言葉とライコネンの勇姿が見れなくなる寂しさを綴ったコメントで溢れていた。

引退したライコネンは2022年からFIMモトクロス世界選手権の最高峰クラス「MXGP」に参戦するカワサキレーシングチームのチーム代表に就任。現役時代からアイスホッケーやモトクロス、ラリーと、スピードをこよなく愛したライコネンらしい「花道」と言えるだろう。

逆境に強いフィンランド人に根付く「シス」

フィンランド人がF1シーンで活躍する理由と歴代のワールドチャンピオンを紹介してきたが、もちろん彼らの挑戦の前には、険しい道のりが待っていた。頂点を目指すにはさまざまな逆境を乗り越えなければならない。そこでつかんだ勝利の背景には、フィンランド人独特の「シス」という概念が存在しているように思える。

シスを他の言語で言い換えることは難しいのだが、フィンランド語で「困難な状況においても今できるベストをつくす」といった意味合いがある。どちらかといえば言葉に発するものではなく、自分のうちに思いを秘め、行動に移し、黙々とこなす国民性を表現している言葉、という感じだろうか。

地形的にモータースポーツをする環境が整っているフィンランドだが、目標に向かって努力を惜しまない、決して諦めず挑戦を続けるF1チャンプたちの姿勢は、このシスという精神が大きく影響をもたらしているのではないだろうか。努力を惜しまない精神と運転技術を高め、練習ができる環境があるからこそ、どの時代にもフライング・フィンが躍動しているのかもしれない。

This article is a sponsored article by
''.