この連載では、昭和30年~55年(1955年〜1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第36回目は、日産フェアレディZのルーツとなったフェアレディ2000の登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より)

豪快にして痛快! 最後の硬派クラシックスポーツカー

フェアレディの源流は、昭和34(1959)年6月にデビューしたS211(ダットサン・スポーツ1000)だが、「フェアレディ」の名を冠した(※ただし当時の表記は「フェアレデー」)最初のクルマは、翌昭和35 (1960)年1月に登場したSPL212(フェアレデー1200)だった。

画像: 基本的にSP310のボディを使っているが、広げられたトレッドとサイズアップされたタイヤをカバーするために、フェンダーフレアがちょっと張り出された。豪快なU20型エンジンとスパルタンな乗り味が相まって、最硬派のフェアレディとして君臨した。

基本的にSP310のボディを使っているが、広げられたトレッドとサイズアップされたタイヤをカバーするために、フェンダーフレアがちょっと張り出された。豪快なU20型エンジンとスパルタンな乗り味が相まって、最硬派のフェアレディとして君臨した。

このモデルでスポーツカーの基礎を築いたフェアレディは、昭和37(1962)年10月にはSP310(フェアレディ1500)へと変身、それがSP311(フェアレディ1600)へと強化された後、オープン・フェアレディの真打ちとして登場するのが、スパルタンに徹した「フェアレディ2000」である。

型式名は「SR311」だ。1967(昭和42)年3月に発表され、その走りと費用対効果の高さで一躍センセーションを巻き起こした。

シャシはSP311と同じくラダーフレームを持ち、前輪はダブルウイッシュボーン/コイル独立懸架、後輪は半楕円リーフ/リジッドアクスルの組み合わせとなっていたが、高出力化に対応して、リアのリーフにトルクロッドを組み合わせ、スタート時や制動時のスプリングのワインドアップを防ぐようになっていた。

画像: U20型 エンジンはOHVのH20型 にSOHCヘッドを組み合わせたもの。カウンターフロー SOHC直4に44φソレックスを2連装。145psを発生、ワイルドなパワ一ユニットだった。

U20型 エンジンはOHVのH20型 にSOHCヘッドを組み合わせたもの。カウンターフロー SOHC直4に44φソレックスを2連装。145psを発生、ワイルドなパワ一ユニットだった。

エンジンはセドリックに積まれていたH型4気筒OHVをベースにシリンダーヘッドを一新するなど、大幅な改良を施したU20型4気筒SOHC。フェアレディ初のSOHCユニットで、5ベアリング支持構造やウエッジ型燃焼室などを特徴とする。

標準装着の燃料供給装置は、レースユースを意識したツインチョークのソレックス44PHHキャブレターで、これを2連装した。最高出力は145ps/6000rpm、最大トルクは18.0kgm/4800 rpm。ベースのH型が92ps&16.0kgmだから、いかに大幅なパワーアップが実施されたかがよくわかる。

ミッションはオーバードライブを加えた、ポルシェタイプ・セルフサーボシンクロ機構付きの5速マニュアルだ。車両重量は910kgだったから、パワーウェイトレシオは6.28kg/psというレーシングカー並みの優れた数値だった。

当然ながら動力性能は当時の国産トップレベルで、最高速度のメーカー計測値は200km/hの大台を超える205km/hと発表されている。さらに驚異的なのは0-400m加速で、国産車として当時の最高タイム15.4秒を叩き出している。なんと、同時期に登場したトヨタ2000GTやコスモスポーツより速いのである。最高速も205km/hと、カタログデータだが日本車として初めて200km/hの大台を超えた。

この強烈なパワーを裏付けに、フェアレディ2000はサーキットでも群を抜く速さを見せつける。どう手当をしてもハンドリングの向上はこれ以上望めないと言われながらも、走るたびにコースレコードを更新していった。

画像: 初期型のインテリアは1600と同じものを使用したが、写真の後期型はアメリカの安全基準を満たすため、全面に分厚いパッティングが施され、ハンドル中央にセーフティパッドが付いた。

初期型のインテリアは1600と同じものを使用したが、写真の後期型はアメリカの安全基準を満たすため、全面に分厚いパッティングが施され、ハンドル中央にセーフティパッドが付いた。

SR311はマイナーチェンジを受け、安全装備を充実させた。ウインドシールドを25mm高くし、シートにはヘッドレストが追加されている。また、インパネ表面を厚いソフトパッドで覆ったものに換えると同時に、衝撃吸収(コラプシブル)ステアリングも採用された。ガソリンタンクも安全なものに変更されている。

こうした変更は、フェアレディは日本よりも海外市場での販売比率が高かったため、安全装備に関しては積極的な取り組みを見せていたからなのだ。

昭和43(1968)年11月、SR311はライセンスランプやメーターの書体変更という最後のマイナーチェンジを行なう。翌昭和44(1969)年秋には後継のフェアレディZに主役の座を譲るから、これがフェアレディとして最後の変更となったわけだ。

しかし、フェアレディは北米を中心に人気が高かったため、しばらくは併売の形で販売が続けられた。最終モデルは70年式だ。

SP310の登場から9年間に5万台近いSP&SRが世に送り出された。オープンスポーツカーの素晴らしさを人々に伝え、スポーツカーの文化を日本に根付かせたのが、60年代のフェアレディだ。

画像: 当初はオプションで用意されたハードトップだが、昭和43 (1968)年7月にはハードトップ仕様も追加設定された(91万円)。

当初はオプションで用意されたハードトップだが、昭和43 (1968)年7月にはハードトップ仕様も追加設定された(91万円)。

そのスポーツ・スピリットは、後継となるフェアレディZに脈々と受け継がれ、スポーツカーファンの期待をになっていくことになる。

MOTORSPORT

画像: MOTORSPORT

SR311はレースでも大活躍。昭和42(1967)年 の 第4回 日 本GPのGTクラスでは、見事に1 ~ 3位を独占している。この時の優勝は黒澤元治選手だった。

日産ダットサン・フェアレディ2000(SR311型)諸元

●全長×全幅×全高:3910×1495×1300(1325)mm
●ホイールベース:2280mm
●車両重量:910(930)kg
●エンジン型式・種類:U20型・直4SOHC
●排気量:1982cc
●最高出力:145ps/6000rpm
●最大トルク:18.0kgm/4800rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:5.60-14 4P
●新車価格:88万円(91万円、後に改訂で86万円)
*()内は後期型

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