フランスのもうひとつの魅力は地方都市と「節約」にあり?
パリで開催されたヒストリックカーイベント「レトロドモビル」に続いていよいよフランスを縦断する旅へ。向かったのは、VALENCE(ヴァランス/バランスとも表記される)という地方都市だった。目的は「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック(主催者のAutomobile Club de MonacoはRMCHと略す)」というラリーイベントの観戦だ。

欧州各地から出発した参加車両が、次々にChamp de Mars公園に集まってくる。眺めているだけでも、アッという間に時間が経っていく。次にどんな名車がやってくるのか、ワクワクしっぱなしだから。

ヴァランス中心部の噴水広場。街の歴史は古代ローマ時代に遡るという。ミシュランの三ッ星レストランなど、美食の街としても有名らしい。

ヴァランスの市庁舎がライトアップされていた。1894年の建築だという。フランスではこういう街並みが日常なのだが、日本人からするとホテルを出た瞬間に異世界に転生したような気分になれる。
パリ市内から南に600kmほどのところにあるヴァランスは、クルマだと6時間はかかる。けれど、11区のハブ駅Garede Lyon(リヨン駅)からマルセイユ方面に向かうTGVを使えば2時間半ほど。10日分の荷物を詰め込んだキャリーを引きずっての移動自体は、それなりにキツかったけれど、寝過ごしさえ気を付ければ、電車に乗っている間は実にらくちんだ。
さすがに県庁所在地。街並みは、重厚な歴史と伝統を感じさせるものだった。古い建築とともにモダンなアパルトメントがそこかしこに並んでいるものの、違和感を感じさせない。地域の行政や経済の中心を担う中堅都市は、新旧の時代感覚が絶妙に入り混じっていた。
どちらかと言えば「いろいろ詰め込み過ぎてる感」があったパリとはまた違う、穏やかな街の雰囲気も気に入った。週末は夜遊びを楽しむ若者が多いので、遅い時間のひとり歩きはそれなりに気を遣うけれど。
ラッキーだったのは、5泊するアパルトメントタイプのホテルにミニキッチンがついていて、フライパンや鍋、調理器具から食器に至るまで完備されていたこと。正直、一週間近くパリにいる間に、外食はもちろんテイクアウトを部屋で食べることにも飽きはじめていたからだ。
なにしろ半端ないボリュームとバターキツめ、経済観念が崩壊しそうな金額の外食&お惣菜に胃とお財布が悲鳴をあげ始めていたところだったもので・・・自炊できるのは実にありがたい。
近所のスーパーでハムとチーズと極太のソーセージとかスープ系の缶詰、盛り付けるだけのサラダ、主食にバゲットとパスタとクスクスを買い込んで、おまけにワインとビールを1本ずつつけたって外食する料金の七掛けほどで済む。日本人の口にもまあまあ合ううえに身体にも(比較的)優しく、コスパも(明らかに)抜群だ。
そんな感じで到着早々、我が家のようにすっかり寛ぐことができた。自炊が苦にならないなら、アパルトメントでの長期滞在はおススメだ。
ちなみに、ラリー「モンテカルロ」なのになぜヴァランスに滞在するのかと言えば、トータルで1週間近いRMCHのスケジュールの前半戦が、この街を中心とするレグで消化されるからだ。ゴールとなるモナコに至るまで、3日間プラスαのスケジュールが組まれている。

ぽつりぽつりと集まり始めた参加車と、観客。まだこの頃は静かなもので、特別な雰囲気はあまり感じられなかった。
幕開けは1月29日。かつてのWRCの伝統に則ったコンセントラシオン(集結走行)から始まる。スコットランドのジョン・オ・グローツを皮切りに、ハンブルグ、モンテカルロ、バルセロナ、チュリニ、ランスといった多彩な国の都市を参加車たちがスタート、すべての参加車たちがヴァランスを目指して集まってきた。
ホンダ初代シビックRSが2台参戦。レジェンドドライバーはゼッケンNo1
ざっくり解説するなら、RMCHは、世界最古のラリー競技としての伝統を継承する、歴史的価値の高いモータースポーツイベントだ。

ラリーの装いが似合うランチア フルビアが2台揃ってやってきた。手前がクーペ1.3(1967年型)、奥がHF 1.6(1969年型)。やっぱりカッコいい!ランチアの参加台数も多め。

タイムコントロール前で渋滞が発生。本来のアクセスは、もう1本奥の方にあったのだが。
1997年に創設されたこの大会は、歴史あるWRC(世界ラリー選手権)イベント「ラリー・モンテカルロ」で主役を演じた名車たちが再び一堂に会し、冬の過酷なアルプスを舞台にその勇姿を競う。参加車両は、1911年から1986年までに本大会へ出場したモデル、または同型の車両に限定される。その上でFIA発行の認定書が必要だ。
最大の特徴は、通常のラリーのように純粋な速さを競うタイムアタックではなく、指定された平均速度をいかに正確に維持して走行するかを問う「レギュラリティラリー」形式を採用している点だ。
かつてWRCの象徴でもあったコンサントラシオン(1995年に惜しまれつつ廃止された)が再現されているなど、クルマだけでなくイベント進行についてもレトロ感が漂うあたりも、ファンを惹きつける大きな魅力だろう。雪と氷に覆われた峠道や、伝説的なチュリニ峠を含む難関ルートが、ちゃんと用意されている。
最新鋭のテクノロジーではなく、熟練のドライビング技術とコ・ドライバーの正確なナビゲーション、そして念入りに整備されたクラシックカーの高い信頼性こそが、勝利への鍵となる。そこにはモータースポーツの原点、ロマンが凝縮されていると言っていい。

ローヌ川沿いの遊歩道で、SRに向かうシビックRSを待ち構えてみた。こういう瞬間が、ラリー観戦の醍醐味だけど、正面から見ていると普通に街を走る旧車に見える。
そんなラリーイベントに、日本から参加することにしたのが学校法人ホンダ学園だ。本田技研工業を母体に自動車整備士や研究・開発エンジニアを育成する専門大学ホンダテクニカルンカレッジは、2026年に創立50周年を迎えるに当たって、記念行事のひとつとして世界の舞台に挑戦することを決めた。
ホンダ車としては唯一、レギュレーションに適合していたのが、初代ホンダ シビックRSだった。ちょっと意外だったのだが、WRCとしてのラリー・モンテカルロに1970年代、プライベーターによる参戦の記録が残っていた。当時、本田技研工業の社員であり国内ラリーで活躍していた角地功男さんと吉田武久さんが、1979年と1980年の2年連続で参加していたのだ。
ちなみに、このおふたりは30年後の2009年から、RMCHにもシビックRSで参戦していたそうだ。60歳の頃だというから、現在の僕とほとんど同じ年齢で参戦されていた、ということに驚いた。どうせなら「踊らにゃそんそん♪」・・・次に来るときは観客ではなく、ドライバーとして参戦してみたい、などと還暦過ぎの身で妄想してみる。
それはさておき、現代の若者たちがまた、ホンダならではのチャレンジスピリットを体現していることにも、エールを送りたい。2台のナビゲーターはどちらも学生が担当。1台は佐藤琢磨選手がハンドルを握る(もう1台はホンダテクニカルカレッジ校長の勝田啓輔氏だった)。
佐藤選手のコ・ドライバーは川島颯太さん。ふたりのマシンに主催者から与えられたゼッケンはなんと「1」!という大盤振る舞いだった。インディ500での優勝をはじめ世界で活躍するレジェンドドライバーと、希少な日本のコンパクトカーに対する期待値は、現地でもそうとう大きいものだったのだ。



