1980年代に低迷していたフォードがWRCで再びトップ争いを繰り広げるまでに復活。その立役者がエスコートRSコスワースだった。目まぐるしく変わるチーム運営のため次第に成績が低下したが、プライベーターによって長く活躍した。(タイトル写真は1997年のフォード エスコートRSコスワース。この年、アクロポリスラリーとラリーインドネシアでカルロス・サインツが優勝。スウェディッシュラリーは総合2位に終わっている)

コンパクトなボディにシエラ譲りのメカニズムを搭載

市販車のスポーツグレードに「RS」の名を使う車は多いが、その意味するところは自動車メーカーにとっては様々だ。

ポルシェの場合はレンシュポルト=レーシングスポーツ。そして、フォードの場合のRSは、1970年代のマークⅠエスコートRS1600の時代から=ラリースポーツだ。その名に恥じることなく、マークⅠ、そして1976年初登場のマークⅡエストコートRS1800でフォードは大活躍を演じた。

ところが多くのライバルメーカー同様、グループB時代=4WD革命時に出遅れたことが致命的となり、1980年代半ばからフォードの戦績は低迷。1987年からのグループA時代でも、最適なベース車両を持たなかったために、大柄で重いなシエラをベースとしたマシンで苦戦を強いられることになる。

しかしそんな中で、ラリーカー開発の拠点である英国ボアハムのファクトリーでは起死回生の4WDターボーカーが準備されていた。それが1993年に投入されたエスコートRSコスワースだ。

画像: シエラRSコスワース4×4用の4WDコンポーネンツをエスコートに移植、エンジンは排気量1993ccのコスワース製直列4気筒を縦置きに搭載。

シエラRSコスワース4×4用の4WDコンポーネンツをエスコートに移植、エンジンは排気量1993ccのコスワース製直列4気筒を縦置きに搭載。

マークⅤエスコートのコンパクトなサイズのボディに、シエラで熟成したエンジンとギアボックス、専用のフロアパンとシャシ、エアロキットを使ったエスコートRSコスワースのパッケージングは当時ベストと言えるもので、デビュー2戦目のポルトガルで早くも初優勝。その後もアクロポリス、サンレモ、カタルニアと勝利を積み重ね、この年初のマニュファクチャラーズタイトルを獲得するトヨタを最後まで苦しめた。

翌1994年も、前年惜敗していた開幕戦モンテカルロラリーで見事に雪辱を果たす勝利する幸先の良いスタートを切ったが、ここで思わぬアクシデントが待っていた。モンテ制覇の殊勲者である若手エースのフランソワ・デルクールが一般公道での交通事故で右脚を骨折。戦線を離脱してしまったのだ。

シーズン半ばのフィンランドではスポット参戦したトミ・マキネンがWRC初優勝を遂げたものの、マニュファクチャラーズ選手権ではトヨタとスバルに次ぐ3位に後退。そしてここからエスコートRSコスワースの運命は大きく変わってしまう。

シーズン末、ボアハムが30年以上続けたWRC活動の休止を表明。1995年、エスコートRSコスワースはベルギーのサテライトチーム、RASスポールに委ねられることになったが、ワークスの技術支援がほとんど得られない状況では日本車勢に立ち向かうことはできず敗走の連続。

翌1996年は再びボアハムにラリー活動のオペレーションが戻されたが、かつての予算規模は望むべくもなく、スバルから移籍してきたカルロス・サインツが1勝を挙げるにとどまった。そしてついにボアハムはWRCからの完全撤退を決定。WRC活動はラリーカー開発を含め、英国カンブリアに拠点を持つMスポーツに移管されることとなる。

エスコートは1997年にそのMスポーツによってエスコートWRCヘとアップデートされて2勝を挙げたあと、後継のフォーカスWRCに役割を譲って退場していった。

 

WRC名車列伝のバックナンバー

フォード エスコート RS コスワース(1993)

●全長:4211mm
●全幅:1734mm
●ホイールベース:2550mm
●車両重量:1200kg
●エンジン:直列4気筒 DOHC ターボ
●排気量:1993cc
●ボア×ストローク:90.8×76.95mm
●最高出力:300ps/6250rpm
●最大トルク:450Nm/5000rpm
●駆動方式:4WD
●トランスミッション:7速シーケンシャル
●サスペンション:前ストラット/後セミトレーリングアーム
●車両規則:グループA

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