さまざまなものを失った1990年代のメルセデス
過去を振り返ってみると、自らが定めた多品種生産による高収益体質への改善という不慣れな拡大戦略の過程において、1990年代にメルセデスは様々なものを失ってしまった。
たとえば商品企画の失敗として挙げられるのはW140のSクラス。品質管理の失敗として挙げられるのはW210のEクラスだろう。そしてセンセーショナルな取り上げ方をされたにせよ、W168のAクラスでは結果的に安全性への揺らぎまでが生じている。
その果てに起こったのがクライスラーとの合併である。メルセデスは一体どうしたいわけ? という話はあちこちから聞かれることとなった。
僕らのような立場では、一般誌や経済紙のベクトルとは違って、品物の出来こそが第一の判断基準となるわけで、会社の方針がどうであれモノが良ければいいんだけどね……となるのだが、この時代のメルセデスはやはり様々な迷いがクルマにも現れてしまっていて、乗ってみても脈々と受け継がれたメルセデスライドを失ってしまったかのようなクルマが多かった。特に2000年のCクラスのデビュー時は、「エントリークラスの基幹となるべきクルマがこの体たらくかいな」と衝撃を受けた覚えがある。
そんなメルセデスのクルマ作りにはっきりとした転機を感じたのは、2001年の末に登場したSLからだ。普段乗りではルーズな操作による動きの荒れをなだめるようにクルマが穏やかに反応してくれる。そして飛ばせば飛ばすほどカメラのピントを合わせるように焦点がグッと定まってくる。その特性の移行が限りなくシームレスな、そんなメルセデスライドの神髄が、SLでは確実に蘇っていた。
そして同時に、人間工学の鑑といわれた計器や空調のインターフェースにもきちんと改善の跡がみられたものだから、さしものメルセデスもSLの名は汚せないと反省が入ったのかなあと考えたりもした。
その後Eクラスがフルモデルチェンジされ、Sクラスがマイナーチェンジされという中でそれらに触れるにつけ、メルセデスは確実に過去の経緯を顧みて、彼らの仕事に惚れて大枚をはたいていた膨大なユーザーの信頼を取り戻そうという方向に物作りが傾いてきているな、という実感を得るようになったわけだ。
もちろん全てが劇的に変わるわけではない。たとえば絶品と語り継がれてきたシートなどは、価格競争力を考えるといくらなんでも昔に戻ることはかなわない。でも、核である乗り味に関しては、皆に親しまれてきた価値をなんとか蘇らせようという方向に動きつつあったのだろう。
メルセデスライドを取り戻したCクラス
そんな中で僕がメルセデスの復活をもっとも強く感じたクルマがCクラスだった。2004年にはインテリアの大変更を含むマイナーチェンジが施されたが、メルセデスはそれ以前にもCクラスに「記載なき変更」を施し続けている。確認したわけではないが間違いないという書き方をしたくなるほど、Cクラスは2003年までの間に劇的な進化を遂げていた。その方向性は、メルセデスライドを取り戻すための地道な煮詰めだったのではないかと思う。
Cクラスに限らず、メルセデスが自らの乗り味を見失う大きなきっかけになったのは、ステアリング形式の変更にあったのだと思う。それまで頑なに守り続けたリサーキュレーティングボールからラック&ピニオンにとって変わられたのは先のW210から。大径ステアリングとの組み合わせで意図的に不感領域を大きく採り、そこからゆったりとゲインが立ち上がっていくというそれは、メルセデスの穏やかな乗り味にとって欠かせないものだった。
それがサルーンにまで運動性を重んじるようになったマーケットの意向と、メルセデスのコスト意識の変化によって真逆ともいえる組み合わせになったわけだから、乗り味が崩壊してしまっても致し方ない。以後、メルセデスはラック&ピニオンをものにするために相当な苦労を重ねたはずだ。それは特徴的だったネガティブなキャンバーオフセットにも容赦なくメスが入れられていることでうかがい知れる。
その過程にあったかもしれない、2000年時点でのCクラスは、ステアリングフィールがとにかく乱雑なものだった。ラック&ピニオンの性質丸出しで素早くゲインが立ち上がる操舵に対して、アライメントによる自律性が低いものだから、ステアリングの反力や戻りはおぼつかず、サスペンションの初期ロールのセッティングもそのリズムに追いつかない。全く攻めるでもない、普通の交差点を曲がるくらいのところで、クルマの動きがなんでこんなにギクシャクするのだろうというくらい滑らかに走らせることが難しかった。
そのいびつな特性は、2003年の時点ではすっかりナリを潜めていた。当時借り出したC180コンプレッサーは広報車にしては2万km近く走り込まれていたが、当初の敏感な操舵の初期応答性がはっきりと改められ、ステアリングの反力やサスペンションの初期減衰とのリズムも完璧とはいわずとも、綺麗に連携していた。製造精度や部品品質の安定といった要素はクルマの味にかなりの影響を及ぼすもので、3年を経たCクラスにはその恩恵もあったのかもしれない。が、確実に仕様変更が施されたとしか説明できないほどクルマのキャラクターは変化していた。
さらにそれから3年の時が経ち、Cクラスはいよいよモデル末期となっている。欧州車にとっては旬の時期とはよく言われるものの、新しいものが出ることがわかっていてみすみす旧い方を選ぶのは気力のいる話だ。果たしてCクラスは今さらお金を払うに値するクルマなのかという点は、多くの方にとって気になることだと思う。
個人的には現在のCクラスは、たとえばBMWの3シリーズやアウディA4といった世代の新しいライバルに比べて、ある面では明らかに見劣りするクルマになっていると思う。
音振まわりやアメニティ関係はもちろん、静的な質感もパッケージも、Cクラスはさすがに諸々が旧い。どうしてもベンツってえんだったらBクラスでも買った方がいいんじゃないの? という話にもなりかねないだろう。
小さなメルセデスとして完成度を高めたBクラス
確かに対すればBクラスは鮮度が段違いに高い。イメージ的にも190時代から20年を経て周知徹底した「小ベンツ」の呪縛から一線を画することもできる。スタイリングも前衛的なAクラスに比べればボクシーで、落ち着いたファミリーカーとして受容しやすいものだ。現にBクラスは日本市場においての屋台骨として、販売面においても強力なライバルに対しても善戦を繰り広げているらしい。
強力なライバルといえばとりあえずゴルフということになるだろうが、純粋にモノの出来として比べるとBクラスはほぼ同寸にして決定的に広い。それを誇示するかのように日本のホームページにも自転車を中積みした写真が使われている。トゥーランがありながら、ゴルフプラスがBクラス発表の直前に突如ワールドプレミアを果たした背景には、このクルマへの牽制があったのではと疑いたくなるほど、Bクラスの室内容量は強力だ。
それに寄与しているのは疑いなく、エンジンを床に潜り込ませる二重床のプラットフォームである。初代Aクラスからの引き継ぎであるそれは、腹底にバッテリーを積んでこそ成立するもの。裏返せば疑われた操安性のために先行投資されたと思われていたが、この世代になってCセグメントが肥大化したことにより、Aクラス/Bクラスに大きな見返りをもたらすことになった。
では、その操縦安定性はどうなのか。初期に植えられた初代Aクラスのイメージは、何より安全を標榜するメルセデスにとっては顔に泥を塗られたような屈辱だったわけである。ESPを標準化し、足を固めてしのいだものの、乗り心地には難があった先代にかわって現行のAクラスプラットフォームは後ろ脚を総取っ替えするなど、相当大がかりなリファインが施されている。
スフェリカル・パラボリックスプリング・アクスルという長たらしい名前がついているAクラス/Bクラスの後ろ脚は、平たくいえばワッツリンクをメルセデス流に解釈し、室内への張り出しとストロークによるキャンバー変化の抑制を両立させる狙いがある。それにビルシュタインとの共同開発からなる減衰可変ダンパーとの組み合わせにより、ピッチングを抑えたフラットな乗り味と本質ともいうべき操縦安定性をかなえようとしたのだろう。
実際のところ、Bクラスはどうしても拭えない高重心を巧く封じ込み、とにかく安定感の高い走りを披露する。機敏さという面でライバルに劣る気がするのはもちろん高重心に対する保険の意味もあるだろうが、メルセデス流のスローゲインの考え方がこのクルマにも浸透しているからだ。
横風に対してはやや敏なところもあるが、高速域でのコーナリングもロールの管理がうまく、乗員を不安にさせることがない。この点、たとえばトゥーランやフォーカスC-MAXといった辺りも見事なものだが、速度を感じさせない穏やかなフィードバックという面ではBクラスに軍配が上がる。そしてそれこそが、ユーザーがメルセデスに求める乗車感でもあるわけだ。
ただし、試乗したB200ターボに関してはパワートレーンに難がある。トルクの立ち上がりがやや性急なエンジンの出力特性に対して、さすがに慣れていないのかCVTのリンケージとスロットルの開度制御がまったく折り合っておらず、中低速域での操作感がえらくシビアなものになってしまっているのだ。ターボを載せるクルマではないと両断するつもりはないが、車格と使われ方も含めての現状でのベストマッチはNAのB200だろう。
確実に取り戻しつつあるメルセデスへの絶大な信頼
多くの人が想定する、上質なファミリーカーとしてBクラスとCクラスを合理的に比較すれば、値段と広さからBクラスに軍配があげるという考え方ももちろん理解できる。そして、BクラスとCクラスを常識的な速度で走らせる限り、穏やかなレスポンスであったり安全第一の操縦性であったり万全の高速安定性であったりという、メルセデスの表層はイーブンに享受できるという話にもなるだろう。
なによりBクラスは積極的に生活に取り込んでみたくなる新しさもある。先にも書いたが、今、Cクラスにお金を払うのはやはりエネルギーを使うわけだ。
が、メルセデスの核心に触れたいというクルマ好きにとって、Cクラスのそれは愛すべき旧さでもあり、金を払うに値する旧さであることも個人的にはぜひ強調しておきたい。欧州車的な旬という言葉もそのまま当てはまるほど熟成されたそれは、かつての190Eがそうであったように、まさにSクラスから連なるメルセデスライドを希釈ではなく凝縮したものだ。
特に現行のSクラス/Eクラスは日和見ではなく時代への適合という意味で、路面インフォメーションを意図的に薄皮一枚で遮断しているような印象があるが、Cクラスは音振が旧世代であるぶんだけ、路面との密着感も濃く味わえるといった個性がある。
加えて次期モデルには望めないレガシィ級のコンパクトさを含めれば、このモデルの魅力はより際立って見えるはずだ。
唯一のネックは6気筒以上のモデルにしか左ハンドルが用意されないことだろう。右ハンドルの大きめなオフセットまではさすがに手を入れることができなかった。
従来のコスト度外視の時代を振り返れるユーザーが、諦めるべきものは少なからずあるだろう。が、それにしてもメルセデスはよくぞここまで戻したものだと思う。たかが乗り味ではあるが、その個性は会社の信念と表裏一体のものだ。メルセデスが守り続ける世界は確かに今の、なにがなんでもスポーティという時流に照らせばちょっと鈍くさいものかもしれない。が、確実にそれを支えるユーザーはいて、彼らはメルセデスのステアリングを握れば絶大な信頼を寄せることになる。それをもってこの小さなメルセデスを究極のファミリーカーと期待して選ぶ人がいれば、それは僕ごときがとやかくいうことではない、実に健やかな話だ。(文:渡辺敏史/Motor Magazine 2006年11月号より)
メルセデス・ベンツ C180コンプレッサー ステーションワゴン アバンギャルド 主要諸元
●全長×全幅×全高:4550×1730×1465mm
●ホイールベース:2715mm
●車両重量:1530kg
●エンジン:直4DOHCスーパーチャージャー
●排気量:1795cc
●最高出力:143ps/5200rpm
●最大トルク:200Nm/2500-4200rpm
●トランスミッション:5速AT
●駆動方式:FR
●車両価格:430万5000円(2006年)
メルセデス・ベンツ B200ターボ 主要諸元
●全長×全幅×全高:4270×1780×1595mm
●ホイールベース:2780mm
●車両重量:1440kg
●エンジン:直4SOHCターボ
●排気量:2034cc
●最高出力:193ps/4850rpm
●最大トルク:280Nm/1800-4850rpm
●トランスミッション:CVT
●駆動方式:FF
●車両価格:393万7500円(2006年)