2021年、アルファタウリ・ホンダからF1ドライバーとしてデビューを決めた角田裕毅が日本に帰国し、リモートインタビューに応じた。どのようにしてF1シート獲得したのか、ここまでどのように戦ってきたのか、2021年シーズンをどう戦うのか。第1回は、F1に参戦することになった経緯を聞いてみた。

2年前までF1は遠い世界でした

──F1デビュー決定、おめでとうございます。瞬く間にF1に上り詰めたという印象ですが、F1を意識し始めたのはいつごろからですか。

「4歳からカートを始めて、もっと速くなりたいと思って走ってました。その頃は次のステップに進むことしか考えていなくて、F1は遠い世界でした。鈴鹿サーキットレーシングスクールを卒業して、初めてフォーミュラカーのレースに出たのは2016年、16歳の時、F4でした。F1を意識し始めたのは、レッドブル・ジュニアチームに入ってFIA F3を戦い始めた昨年(2019年)くらいからですね」

──レッドブル・ジュニアチームにはどうやって選ばれたのですか。

「 全日本F4を走っていた2018年7月頃、ホンダからヨーロッパでF3に乗ってみないかと話をいただいたのがきっかけです。日本から3名のドライバーが参加しました。ハンガロリンクでのテストにはレッドブルジュニアのドライバーたちが来ていましたが、全員を上回るタイムを出せました。自分としても、すごく楽しいテストでした。それが認められ、レッドブルプログラムに入れてもらいました」

──それで欧州FIA F3に参戦することになったのですか。

「ホンダからヨーロッパでのF3テストの機会をいただいたのがきっかけとなりましたが、その時はまだヨーロッパでレースをするとか、そんな話はなかったと思います」

──レッドブル・ジュニアチームに入ってもF1が約束されるわけではないですよね。

「ジュニアチームはある種の肩書きのようなもので、いいチームと契約できたり、スポンサーとの接触の機会が増えたりしますが、F1への道筋を作ってくれるわけではありません。レッドブル・ジュニアチームは金銭的な支援はありましたが、フェラーリやメルセデス、ルノーのジュニアチームには金銭的な支援はないようです。ただ、レッドブル・ジュニアチームは金銭的な支援はありますが、その反面、いい成績があげられないとすぐにプログラムは終了となってしまいます。厳しい世界です。ただ、レッドブル・ジュニアチームやホンダ、スポンサーの支援もあって、2019年には欧州FIA F3に参戦して優勝も経験できました。そして、今年2020年はF1を目指して、FIA F2に参戦することになったのです」(続く)

画像: 角田裕毅は今季2020年、ルーキーとしてカーリンからFIA F2に参戦。Red Bullカラーのマシンを操り、第1戦・第2戦のフリー走行でいきなりトップタイムを記録して周囲を驚かせた。

角田裕毅は今季2020年、ルーキーとしてカーリンからFIA F2に参戦。Red Bullカラーのマシンを操り、第1戦・第2戦のフリー走行でいきなりトップタイムを記録して周囲を驚かせた。

角田裕毅(ツノダユウキ)プロフィール

生年月日:2000年5月11日生まれ
出身地:神奈川県相模原市
身長:160cm
体重:53kg

レーシングキャリア概要:

2016年:鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)卒業
2016年:スーパーFJ 日本一決定戦優勝
2016年:FIA-F4 第11戦鈴鹿 にスポット参戦して2位(史上最年少表彰台)
2017年:JAF-F4 東日本シリーズ シリーズチャンピオン・日本一決定戦 優勝
2017年:FIA F4日本選手権 シリーズ 3位
2018年:FIA F4日本選手権 シリーズ チャンピオン
2019年:レッドブル・ジュニアチームに加入
2019年:FIA F3選手権 シリーズ 9位(Jenzer Motorsport)1勝 表彰台3回
2019年:ユーロフォーミュラ・オープン・チャンピオンシップ シリーズ4位(Motopark)
2020年:FIA F2選手権 シリーズ 3位(Carlin)3勝 表彰台7回 ポールポジション4回

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