久しぶりに「クルマ」に関連した映画が公開されたので、Webモーターマガジンとしても紹介しないわけにはいかない。そんな最新作、あおり運転を題材にしたラッセル・クロウ主演の「アオラレ」を、映画批評家の永田よしのり氏に解説してもらおう。

あおった男が悪いのか? あおられた女が悪いのか?

「アオラレ」

●監督:デリック・ボルテ
●出演:ラッセル・クロウ、カレン・ピストリアス、ガブリエル・ベイトマンほか
●全国にて公開中
●配給:KADOKAWA
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日本でも「あおり運転」がここ数年社会問題となってきて、2020年6月に「妨害運転罪」の改正道路交通法適用がなされた。その内容は一般自動車道と高速道路では違うが、最高で5年以下の懲役、100万円以下の罰金が罰則として課されるようになった。

あおり運転は割り込み運転や幅寄せ、パッシング、急ブレーキ、不用意なクラクションなどがその範疇で、映画ではまさにクラクションがきっかけで執拗に追い回されることになる、恐怖の時間がノンストップで描かれるサスペンス・スリラーだ。

アメリカ本国での原題は「Unhinged(アンヒンジド)」。意味は、ヒンジ(蝶番)が外れた/精神的に不安定な/錯乱した、といった意味の形容詞で、ラッセル・クロウ演じる狂気の男の精神状態を現したもの。日本公開に合わせ邦題として日本の社会問題にもなっているあおり運転の「あおられ」をカタカナ表記したタイトルは実に分かりやすい。

画像1: 「アオラレ」

男(ラッセル・クロウ)が運転する先行車(フォード F250スーパーデューティ)は、青信号になっても発進しない。この行動に苛立ってクラクションを鳴らしたレイチェル(カレン・ピストリアス/ボルボ 960エステート)。それをきっかけに口論となり、レイチェルのクルマをどこまでも追いかけてくる男のクルマ。その行為はどんどんエスカレートし、幅寄せ、追突に始まり他車を巻き込んでの大クラッシュ、あげくは殺人行為にまで及ぶ。

それは男が、自分の人生において鬱屈しており、それを社会への復讐だと考えていることに繋がる。たまたまその対象になったのが自分にクラクションを鳴らしたレイチェルだったというだけのことなのだ。

そもそもレイチェルという女性も性格が雑であり(寝坊して仕事を失ったり、クルマの運転においてもかなり違反を繰り返している)、ある意味トラブルを呼び込んでしまう自業自得的な見方もできてしまう女性。つまり煽る男も煽られた女も、現代社会にうまく適合できていない。そうした2人が事件の渦中にいることで、観客にとってはどちらも応援しづらいキャラクターという側面がある。そこが、この映画が勧善懲悪的な爽快感がないゆえんでもある。

映画に詳しい読者なら、こうしたクルマによる嫌がらせの続く映画では、スティーヴン・スピルバーグの「激突!」(1971年)や、SF映画「ブレードランナー」(1982年)で一躍有名になったルトガー・ハウアー主演の「ヒッチャー」(1986年)を思い出すだろう。

アカデミー俳優ラッセル・クロウが演じる名前のない男はたぶん、「激突!」や「ヒッチャー」のような異常者ではない。日々の暮らしの中で追い詰められた精神状態の時に、たまたまレイチェルがその箍(たが)を外してしまったゆえに自暴自棄の暴走を止められなくなってしまった男。そういう意味では、レイチェルもこの暴走に加担した確率は少なからずある、と考えてもいいのかもしれない。

画像2: 「アオラレ」

じつは筆者も若い頃、夜中にノロノロ運転しているクルマにパッシングを繰り返したところ、赤信号で止まった時に先行車から木刀を持った男が降りて来たので慌てて逃げたことがある。幸い事件性には発展しなかったが、目撃者の少ない深夜帯、もしも逃げ切れなかったら? 「あおり運転」はする側、される側、どちらに非があるのか?

もちろん、無条件に悪意のある相手から「あおり運転」を迫られることもあるだろうが、どこか自分にもあおり運転を誘発させることになる要因はないだろうか? 最低限の自己防衛・危機回避のためには何よりも周囲を確認しながら、心や時間にゆとりを持って安全運転を心掛けることは必要なことだろう。

余談だが、レイチェルはきっとこの事件をきっかけにマスコミなどで引っ張りだこになって人気者になることだろう。そういう皮肉な幸福も予想できる。アメリカは良いにつけ悪いにつけ「どんなことでも」チャンスになる国なのだ。映画を観終わると、そんなこともちょっと考えてしまった1本だった。(永田よしのり/映画批評家)

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