神奈川県川崎市の多摩川 河川敷に残されていた日本最初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」の観客席跡は、治水対策に伴う堤防強化工事のためすでに取り壊された。だがモニュメントとして、観客席の一部と記念のプレートを堤防の上部に移設。2022年7月2日、「多摩川スピードウェイの会」のメンバーを中心とした有志が集まってお披露目された。

3席分の観客席と記念のプレートを2枚設置

画像: 1936年6月7日、第1回全日本自動車競争大会の1シーン。大観衆の座る観客席が2021年まで残されていた。

1936年6月7日、第1回全日本自動車競争大会の1シーン。大観衆の座る観客席が2021年まで残されていた。

1936年(昭和11年)、神奈川県川崎市の多摩川 河川敷に日本初(アジア初でもある)の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」が開設された。1936〜38年に開催された「全日本自動車競走大会」では3万人もの観衆が集まり、若き日の本田宗一郎氏も出場していた、という話は以前に当Webモーターマガジンでも紹介している。

第二次世界大戦後にサーキットは廃止され、1周約1.2kmのダート オーバルコースだったサーキットは、現在グラウンドになっている。多摩川土手には長さ350mほどのコンクリートの観客席跡が残っていて、2016年には80周年を記念してプレートが設置され、産業遺産および文化財として保存されるはずだった。

画像: 2016年5月、プレート設置記念式典に展示された、本田宗一郎氏の駆った1924年式カーチス号(左)と1926年式ブガッティT35C。どちらも1936年に出走した実車だ。奥に見えるのがコンクリート製の観客席跡。

2016年5月、プレート設置記念式典に展示された、本田宗一郎氏の駆った1924年式カーチス号(左)と1926年式ブガッティT35C。どちらも1936年に出走した実車だ。奥に見えるのがコンクリート製の観客席跡。

だが2021年、多摩川 河川敷の治水対策に伴う堤防強化工事の一環として、観客席跡は取り壊され、新たな堤防が造成されることになった。それでも、保存を目指す有志による「多摩川スピードウェイの会」の努力により、川崎市と国土交通省との三者による協議の末、堤防の上部に観客席の一部と記念のプレートが移設保存されることになった。

移設されたのは、3席分(約3.3m)の観客席の一部と、2016年に設置されたプレート、そして今回、このモニュメントが移設された経緯を説明した新たなプレート(タイトル写真)。2022年7月2日のお披露目には、連日の猛暑日にもかかわらず、「多摩川スピードウェイの会」のメンバーやモータースポーツ ファンなどの有志が集まり、在りし日の光景に思いを馳せていた。

画像: 2016年に設置されたプレート(左)と、このモニュメントが移設された経緯を説明した新たなプレートも設置。

2016年に設置されたプレート(左)と、このモニュメントが移設された経緯を説明した新たなプレートも設置。

モニュメントの設置位置は、以前に記念プレートが設置されていた場所とほぼ同じ、東急東横線/目黒線の多摩川橋梁寄り堤防上端のサイクリングロード脇。東横線/目黒線の新丸子駅から徒歩10分ほど。クルマ好き、モータースポーツ好きの人なら、ぜひ一度は訪れてみるといいだろう。

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