2022年6月25日-26日、現存する世界最古のベントレーであるEXP2が、1922年のRACツーリストトロフィーでチームに勝利をもたらしてから100周年を迎え、これを記念して最古のベントレーがマン島に集結した。マン島ツーリストトロフィーは現在は2輪の公道レースとして知られているが、当初は自動車レースとして始まった。

ダグラス・プロムナードに70台以上のヒストリックカーが集結

6月25日、1922年にベントレーがチームトロフィーを獲得したことを記念して、ニュージーランド、アメリカ、スイスなど、世界各地からベントレーのオーナーがマン島に集まってきた。

早朝、すべての車両が首都ダグラス市のプロムナードに並べられた姿は壮観。ベントレー「3リッター」モデルの展示としては過去最大級の規模で、総額推定4000万ポンド以上、1世紀前のベントレーの車両が集まることは今後もう二度とないと思われるものだった。

画像: ダグラス市のプロムナードに集まったベントレー。ダグラス市長のジャネット・トメニーは「参加者とクルマが生み出すエネルギーと情熱を見ることができて素晴らしい」とコメント。

ダグラス市のプロムナードに集まったベントレー。ダグラス市長のジャネット・トメニーは「参加者とクルマが生み出すエネルギーと情熱を見ることができて素晴らしい」とコメント。

6月26日には、ベントレーと1922年型サンビームがピットレーンに集合して14時からパレードラップをスタート。当日は100年前と同じように激しい雨と強風に見舞われたが、100年前とは異なり、雲は消え、天候は回復。有名なサーキットの村や山々、チェッカーカーブを走行した。

画像: 1922年のマン島ツーリストトロフィーのラムゼイヘアピン。レース当日は激しい雨と強風に見舞われという。

1922年のマン島ツーリストトロフィーのラムゼイヘアピン。レース当日は激しい雨と強風に見舞われという。

1921年5月16日、ベントレーEXP2はブルックランズサーキットで行われたウィットソン・ジュニア・スプリント・ハンディキャップで初勝利。その勢いを駆って、ベントレーEXP2は1922年6月22日にマン島で開催されたツーリストトロフィーに3台体制で参戦、ひどい天候の中、302マイルをクリーム色と赤のベントレーで果敢に戦い抜いて、チームの総合優勝を飾った。

その後も3リッターベントレーの成功は続き、1925年にはジョン・ダフが3リッターの24時間レースで21の世界記録を樹立。4.5リッターベントレー、アイコニックなブロワー、そして1929年と1930年にル・マンで2度の優勝を果たしたスピードシックスへと受け継がれていく。

これらの優勝を記念して、最近発表されたスピードシックス・コンティニュエーションシリーズでは、ル・マンで活躍したレーサーたちの仕様を再現した新車12台が製作される予定となっている。

画像: 1959-30年、ル・マンで活躍したベントレー「スピードシックス」の復刻モデルが12台限定で製作されることになった。

1959-30年、ル・マンで活躍したベントレー「スピードシックス」の復刻モデルが12台限定で製作されることになった。

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