最近、ウクライナ紛争でにわかに注目を浴びている、M1 エイブラムス戦車。当Webモーターマガジンで以前に連載して人気を博した「モンスターマシンに昂ぶる」をプレイバックして、そのメカニズムを紹介しよう。(記事の内容は、2018年4月当時のものです)

コンプレックスから生まれた最強の戦車

画像: 整備のために吊り上げられたのは、いま現在も唯一無二のガスタービン パワーパック。小型で簡潔にまとめられているのが良くわかる。

整備のために吊り上げられたのは、いま現在も唯一無二のガスタービン パワーパック。小型で簡潔にまとめられているのが良くわかる。

第二次世界大戦(WW2)後の最強戦車と称されるのが、アメリカ軍のM1エイブラムスだ。WW2後の冷戦期、朝鮮戦争やベトナム戦争に本格的な戦車戦はなかった。中東紛争でも、当事国に武器供与はあったが、逆に東西双方の兵器が混在し、アメリカのM46/47〜60パットンや、旧ソ連のT-54/55〜62、そして独・仏・英の主力戦車も大戦車戦を経験していなかった。

こうした中、本格戦車戦となったのが、1991年に勃発した湾岸戦争で、1981年に採用された主力戦車M1が初めて、ソ連製のT-62や72と真っ向から対峙した。それまで西側諸国の戦車は常に、ソ連のT-54/55・62・72を「脅威」として追従してきた経緯があった。

M1は半ば伝説化されていたT-62や72を、圧倒的な火力と装甲で一方的に撃破し、地上戦勝利の立役者となった。その後のイラク戦争やアフガニスタン紛争でも、イスラム側のT-55〜72に対しても一方的な戦いをし、WW2後の実戦における最強戦車として評価された。

WW2から米陸軍は、M4中戦車、M26重戦車とも二流品であることを承知していた。戦後第1世代戦車のM46〜48パットン シリーズが、ソ連のT54/55と何とか互角に戦えれば良いという状況だった。これは、米軍にとって本土が戦場と化すことはないという前提があり、戦車の出番は主に同盟国の支援に過ぎなかったためだ。

第2世代のM60パットンが旧式化する頃、西ドイツと共同開発を行っていた第3世代戦車/MBT-70計画が頓挫。ここから生まれたのが、M1エイブラムス(1981年採用)と、ドイツのレオパルド2(1979年配備。M1と並び現代最強とされる)だった。

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