2024年7月25日(ドイツ現地時間)、メルセデスAMG GmbHはモータースポーツ部門を戦略的に再編し、ドイツ・アファルターバッハに新しい子会社「アファルターバッハ レーシングGmbH」を設立。今後は「アファルターバッハ レーシングGmbH」がレース車両の開発を含むカスタマースポーツ活動を担当し、それと連携してメルセデスAMG GmbHがGTスポーツモデルの開発を加速させることになった。メルセデスAMG GmbHは新会社の設立と並行して、長年のパートナーであるHWA AGとの関係をさらに強化する。

メルセデスのハイパフォーマンスブランドとなった「AMG」

AMGは1967年、自動車エンジンの設計会社としてスタート。創立者のハンス・ヴェルナー・アウフレヒト(Hans Werner Aufrecht)、エンジニアのエルハルト・メルヒャー(Erhard Melcher)、アウフレヒトの故郷であるグロースアスパッハ(Groaspach) の頭文字をとって会社名を「AMG」とした。

画像: 1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースで衝撃的なデビューを飾ったメルセデス・ベンツ 300SEL 6.3(W109)。AMGのルーツであり、象徴と言える存在。

1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースで衝撃的なデビューを飾ったメルセデス・ベンツ 300SEL 6.3(W109)。AMGのルーツであり、象徴と言える存在。

アウフレヒトはダイムラー・ベンツ社に入社してレーシングカーの開発に携わっていたが、ダイムラー・ベンツ社がレース活動を休止したため、自らレースに参戦する会社を設立したのだった。

こうして「AMG」は1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースにメルセデス・ベンツ 300SEL 6.3(W109)で出場、当時は非公式のメルセデス・チューナーであったが、その衝撃的なデビューによって、その名は世界中に轟くこととなる。

そして、その高性能ぶりからアフターマーケット市場でメルセデス・ベンツの乗用車のチューナーとして人気を集め、その後、公式にメルセデス・ベンツへの部品供給を始めたほか、レースではワークス的な位置付けでツーリングカーやGTカーのレース車両の開発・運用を行うようになる。

メルセデスとの関係を深めていったアウフレヒトは、1999年にAMGの株式の51%をダイムラー・クライスラーへ売却し、2005年には全保有株を譲渡。AMGはダイムラーのハイパフォーマンスブランド「メルセデスAMG」と呼ばれるようになった。

「AMG」が徐々にダイムラーの子会社となって行く中で、アウフレヒトはレースの実戦部隊となる会社「HWA AG」を創立。「メルセデスAMG」とともにレース活動を行うようになっていく。ちなみに「HWA」とはハンス・ヴェルナー・アウフレヒト(Hans Werner Aufrecht)を意味している。

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