1965年10月の東京モーターショーで初めて量産プロトタイプが公開されたトヨタ2000GTは、その後本格的な走行テストを重ねて1967年5月にようやく発売された。よく知られているように、実質的な開発はトヨタとヤマハ発動機が共同で行った。これには当時のトヨタが、カローラ、センチュリー、スプリンター、コロナ・マークⅡなど相次ぐニューモデルの発売計画を抱えていたため手が回らず、結局、試作と生産をヤマハに委託したという背景があった。
発売価格は238万5000円で、大卒初任給の100倍近い。今で言う「スーパーカー」である。それだけに贅を尽くした作りは、庶民にため息をつかせるものだった。エンジンは、クラウン用に開発されていた2リッターのM型をベースにヘッドをDOHC化した3M型を専用開発。ソレックスキャブを3連装し、最高出力160ps/6000rpm、最大トルク18.0kgm/5000rpmを誇った。X字型にフレームを組み合わせたシャシ=Xボーン・フレームも専用開発。組み合わされたサスペンションは前後ともダブルウイッシュボーンで、ブレーキは4輪ディスク、ホイールはアルミより軽量なマグネシウム製が装着された。
内装の豪華さでも当時随一のもの。メーターパネルはヤマハの木工技術を生かした「総ローズウッド張り」で、そこにはめ込まれた各種のメーター類は高級腕時計を思わせた。シートもレザー張りだった。これだけゴージャスな内外装を採用しながら「純国産」であったのも盛んにPRされた。
よろしくメカドック」では、東日本サーキットグランプリ編に登場。MDM=メカドック・モドキという非公認の準メカドックワークス・チーム(?)の中の1台として登場。いつもはトヨタスポーツ800を駆っている女暴小町(すけぼうこまち)こと小野麗子がドライバーとして出走するが、オーバーフェンダーやスポイラーの装着以外、チューニングのメニューは不明。ちょい役での登場だったが、今思えば謎が多いクルマでもあった。