JTC(グループA)とF3000を制した1990年。不惑を超えてなお、速い速い!
GT-Rのデビューイヤーを圧勝で飾った星野選手。1992年デイトナ24時間で日本車初の総合優勝、1998年にはル・マン24時間で日本人トリオ初の総合3位表彰台を勝ち取る。その一方、1996年シーズンを最後にトップフォーミュラから引退。その時は、ひたひたと迫りつつあった。
GT-Rの全日本ツーリングカー選手権へのデビューとなる90年は、鮮やかなブルーが目立つカルソニックカラーに塗られた星野/鈴木利男組GT-Rと、リーボックカラーの長谷見昌弘/A・オロフソン組GT-Rの2台のみがエントリー。西日本サーキット(後のMINE)で行われた3月の開幕戦で、フォード・シエラやスープラといったライバルたちを尻目に、星野/鈴木組はいきなり強烈な速さを見せつけてPPを獲得。決勝では同じGT-Rの長谷見/オロフソン組を2位に従えてデビューウインを果たす。しかもファステストラップも星野という、前年までの苦戦が嘘のような完
璧な勝利で、GT-Rのデビュー戦を飾って見せた。
(中略)
そしてこの年の第4戦以降、星野組GT-Rは3連勝を達成。
6戦5勝、4PP、ポールtoウイン3回という、文句ナシの成績を残し、GT-Rのデビューイヤーでチャンピオンを獲得するのだ。
全日本F3000からフォーミュラニッポンに改称された96年シーズンは、虎之介の他にも、服部尚貴、中野信治、金石勝智、さらに95年ドイツF3チャンピオンのR・シューマッハ、同2位のN・フォンタナと、国内外から有力な若手ドライバーが揃う空前の激戦。しかしこの年49歳となる星野は、開幕戦の鈴鹿で、前年の勢いそのままにPPを獲得した虎之介に続き、予選2位を獲得。決勝も虎之介と激しいバトルを展開し、虎之介が自滅リタイアする中、トップでチェッカーを受けて、93年の第10戦以来、久々の勝利を挙げて復活の狼煙を上げる。
98年もR390での挑戦は続くが、ポルシェ911GT1やマクラーレンF1GTR、メルセデスCLK -LMに加えて、新たにトヨタTS020も登場。プロトタイプクラスにも強豪・ヨーストがエントリーするなど強力なライバルが増え、さらに厳しい戦いは避けられない状況だった。
そんなル・マンを前にして、星野はこの年限りでル・マンから引退することを発表し、背水の陣を敷いて24時間レースに挑んだ。星野、鈴木亜久里、影山正彦のトリオは、ポルシェ、トヨタと終始バトルを繰り広げ、常にトップを伺う4〜5番手をキープ。24時間を走り切って、2台のポルシェに次ぐ3位に入賞!86年の初参戦から12年、9度目にして最後の星野のル・マン挑戦は、待望の表彰台でその幕を降ろすことになった。
「The Racing Legend 星野一義 FANBOOK」
A4変形 オールカラー132ページ 2017年4月25日発売 1800円(税込)
モーターマガジン社公式サイト↓↓↓でも好評販売中です。