三者三様の本音トークに盛り上がる会場
どのような話が聴けるのか、固唾を飲む約140名のマツダファンの前に現れたのは、
ロータリー・スポーツに賭けた3代目RX-7開発主査小早川隆治さん(1941年生)
今日のマツダ・デザインの流れを創った福田成徳さん(1938年生)
人馬一体を具現化した3代目ロードスター開発主査 貴島孝雄さん(1949年生)
の3名。
マツダのレジェンド中のレジェンドであることは、誰も異論はないでしょう。
司会は、「クルマ塾」のメンバーである、モータージャーナリストの山口京一さんと吉田由美さんが務めました。
トップバッターに立ったのが小早川さん。
ローターリーエンジン開発のこと、ル・マンの戦いのこと、話題は尽きないものの、3代目RX-7(FD)の軽量化にゼロ戦の部品を参考にされたそうで、持参された実物を来場者の方々が手に取って眺めていました。その貴重度は、超ど級ではないでしょうか。
マツダデザインの中心人物として長年に渡って活躍された福田氏さん。
彼が一番苦労をしたのが、1989年に展開した5チャンネル体制での車両デザインの棲み分けだったそうです。
また、3代目RX-7の外装は前後それぞれ違う方がベースを作り、それを統合して生まれたという興味深い話も聞くことができました。
3代目ロードスターの開発主査、そしてマツダの人馬一体理念を追求し続ける貴島さん。
初代ロードスターの平井開発主査からの戒めを披露してくれました。
曰く、
・スポーツカーは何でも着けんとせんことよ!
・少しぐらい抜けとっても、とがった面があった方がええ、優等生は面白くない!
・足を引っ張る奴は必ずおる、気をつけよ!
・貴島さん、欲をかくなよ
ですが、広島弁が味わいありますね。
お三方のお話に加えて、昨年12月25日に亡くなられたローターリーエンジンの父山本健一さん(元マツダ社長)とローターリーエンジンの足跡が、彼と親交のあったモータージャーナリストの山口さんより貴重な写真も交え語られました。特に旧ソ連のクルマにロータリー車があり、それがマツダのほぼパクリという話には驚かされました。
トータルで3時間に渡るイベントでしたので、そのすべてをお伝えできず、何とももどかしいでのすが、とても濃密な時間を過ごすことができました。
小早川さん
福田さん
貴島さん
そして山口さん、吉田さん、ありがとうございました。