スズキだけが名乗りを上げた。インド市場への挑戦者たちに、風が…吹いた
2017年、世界最大の自動車市場は中国で2887万台。その後に米国の1723万台、日本の523万台が続く。では第4位はどこか、実はインドである。ドイツの385万台を抜き、401万台を記録したのだ。増加率はなんと前年比10%アップ。このままでは2020年に日本を抜いて世界第3位となるのではないか、とまで言われている。
このインドの乗用車市場で50%以上のシェアを獲得しているのがスズキなのだ。正確に言えば現地法人の「マルチ・スズキ社」で、トヨタやホンダなど世界の列強自動車メーカーはどこも10%未満。スズキの足下にも及ばない。では、どうしてスズキはこんなにもインド市場で力があるのか。その背景を知るには、1978年にまでさかのぼる必要がある。
当時、インドでは国営企業によって国産車が生産されていた。しかし性能や耐久性などがあまりに悪く、新たな国民車構想が持ち上がったのである。一方この頃日本では、アメリカとの自動車摩擦対策に腐心していたため、インドの動きにほとんどの日本車メーカーが手を上げなかったのだ。
そこで立候補したのがスズキ。当時、二輪でこそ知名度は高いものの、四輪の世界で市場をリードできていた国はひとつもなかった。そこで、このインドの国民車構想に社運をかけたのである。
1982年にはスズキ主導による最初の現地生産工場が稼働を開始。生産車両は当時、日本でもヒットしていた軽自動車アルトに800ccのエンジンを搭載した「マルチ800」。当時のガンジー首相がオープニングセレモニーに立ち会うほど、インド政府からの期待は相当大きかったようだ。
結果は大成功。スズキが得意とするコストダウンによる低価格戦略や、現地のニーズをきめ細かく採り入れたこともあり、爆発的人気を呼んだのである。その後、スズキは投入車種を増やして現在の圧倒的に高いシェア獲得、今ではバレーノを日本に輸出するまでになったのだ。