アウディのエンジニアたちが精魂込めて世に送り出した名車
ドイツで試乗といえば真っ先にアウトバーンでの印象を語るべきかもしれない。しかし、案内を買って出てくれた「アウディ トラディション」のスタッフ、アルブレヒトさんが真っ先に連れてきてくれたのは、丘の上に広がるトウモロコシ畑だった。そこを縫うように走る細い道路が「テストコース」、そこで初代「アウディ100」を撮影することにした。
1968年に「アウディ100」(C1系)がデビューしてから、2018年でちょうど50年、そんなアニバーサリーイヤーに「近代アウディの原点」とも言えるクルマに乗ることができるなんて、ラッキーとしか言いようがない。クルマの開発から誕生に至る道のりには紆余曲折があったようだが、ひとまずはその幸運をしっかり味わいつくすことに専念する。
試乗車は1972式の2ドアセダンだった。インゴルシュタットにある、アウディトラディションが所蔵するうちの1台である。そこはアウディの名車たちを整備、レストアなどを行う、ヘリテージの守人のような組織だ。
アウディ100そのものはまず4ドアセダンから生産が始まったが、翌年にはこの2ドアセダンを追加、さらに1970年には流麗なファストバックスタイルが魅力的な2ドアクーペがラインナップに加わっている。2ドアセダンという現代では珍しいスタイルはなかなかスポーティだ。
全体的にはワイド&ローなシルエットを、まろやかな曲線で包み込んだシルエットを持つ。全長4590×全幅1729×全高1422mm。たとえば同世代のフラッグシップモデルとして通称「クジラ」の4代目トヨタ クラウンと比べると、全長は90mmほど短く、逆に全幅は40mmほど広い。
同時に、細かなところで質感を高めているアレンジも。異型のフロントヘッドランプにしてもただカクカクしているのではなく、微妙なRを組み合わせたデザインを採用。ボディサイドにスッと一本引かれたアクセントラインが、シルバーのモールに飾られてテールまわりにまで連なる演出もまた、さりげなく上級感を醸し出しているワンポイントだ。当時のアウディ(&フォルクスワーゲングループ)のフラッグシップだけのことはある。
もっとも、クジラクラウンが当時すでに直列6気筒エンジンを積んでいたことを考えると、メカニズム的にはややプレミアム感が足りないと思える。しかしそこには、当時の「アウディ」ブランドが置かれた事情が、深く関わっている。実はこのアウディ100は、まっさらの新型車ではなく、あくまで「大掛かりなフェイスリフト」として開発されたモデルだったからだ。
1965年、フォルクスワーゲン傘下となった「アウトウニオン」社が、上級ブランドとして立ち上げたのが「アウディ」だった。ブランド名そのものは第二次大戦の戦火のあおりを受けて一時、姿を消していたものだが、「アウトウニオン アウディ72」(F103系)という車名で復活を果たした。
このモデルはそれまでアウトウニオンの主力だったDKWブランドのモデルをベースに、エンジンを2ストロークから4ストローク化したことが最大のトピック。技術的革新とともに、かつて一世を風靡したブランドネームを使ってより上級な自動車市場への参入を果たそうという狙いだ。しかし本質的にはあくまで看板の差し替えに近い。それは当時、アウトウニオンは親会社から、独自の新型車開発を禁止されていたためだ。
なによりそんな閉塞的な状況に満足できなかったのが、アウトウニオンのエンジニアたちだった。リーダーのルードヴィヒ・クラウスはフォルクスワーゲンにはF103型の改良という名目で新型モデルの開発を進め、ついに初代アウディ100を完成させた。
当然、親会社からはクレームがついたというが、クラウスたちはあくまで「フェイスリフトに過ぎない」と主張し、説得に説得を重ね、ついには発売にこぎつけ、そして大成功を納めた。
たしかに、アウディ100にはF103の面影が色濃い。それでもより上級なブランドにふさわしく、DKW譲りのエンジンの中でも最大排気量の1749cc直列4気筒が搭載されている。当初は80 ps、90ps、100psの3種類で、トランスミッションは4速MTのほか、3速ATも設定されていた。
いつの間にか、アウディ100と離れがたい気持ちになっていた
今回試乗した「LS オートマチック」は、そういう意味ではもっとも贅沢な仕様と言えるだろう。100psの最高出力を発揮する直4エンジンは十二分にスムーズで力強い。さすがに公称170km/hを謳う最高速度を試す勇気はなかったけれど、制限速度50〜80 km/hほどの一般道では、先導してくれたアルブレヒトさんのRS4アバントに、思い切り気合いを入れなくてもついていける。
直列4気筒エンジンのサウンドは決して官能的なものないが、回転を上げていっても不快さを感じない。ATは変速時に軽くショックを感じるが、ダイレクトでレスポンスも良好。というよりあまりにもイージードライビングすぎて、あっけないほどだった。試乗時間は1時間ほどと短い間ではあったものの、気がつけばすっかり50年前のクルマに身体がなじんでいる自分がいた。
このクルマに短時間で愛着や信頼感を抱くことができた理由がもうひとつある。それは、現代のアウディ車に引けを取らない、がっしりと骨太なシャシフィールだ。ダイレクトなドライブ感覚はもちろんだけれど、乗り心地など快適性にもつながる大切な資質だ。
アウディ100の試乗を終えた後、案内されたアウディ トラディションのファクトリーには、ホルヒやDKW、ヴァンダラーにNSUなどの名車たち、そして往年のレーシングマシンたちがズラリと並んでいた。しかもどれも、まるで新車のような輝きを放っている。
アルブレヒトさんはそこを「パラダイス」と呼んだ。彼にとって、大好きなクルマたちと濃厚につながっていることができる場所ということだろうが、一方で、アウディのヘリテージを支えたクルマたちにとっても、そこは永遠に安息の時間が流れる「パラダイス」となっているように思える。するとさしづめアルブレヒトさんは、オジサンの皮を被った天使といったところか。
そしてこの後も続く「カッコいいアウディ探し」の旅の途上で、僕たちはさらにさまざまな「天使たち」と出会うことになる。(文:神原 久)