80年以上も前に達成された驚異的な最高速度!
日本でも近年メジャーになってきたエアレース。このエアレースは、大きくふたつに分類できる。ひとつはレッドブル エアレースのようにコースを作って飛行時間を競う、F1やジムカーナのようなサーキットレース。もうひとつは、単純に一定の高度と距離で競う、アメリカのボンネビル ソルトフラッツで開催される最高速記録会のような形式である。
飛行機の最高速に挑む後者の歴史は、飛行機の登場とともに始まった。1903年ライト兄弟が初飛行に成功したフライヤー号が48km/h。そして、第一次世界大戦(1914〜1918年)のドイツ空軍撃墜王、リヒトホーフェンの乗機だったアルバトロスD IIが約175km/hと急激に進化する。しかし、最高速200km/h程度では、読者の皆さんが納得するレベルではないだろう。
現代でも納得の速度記録、755.13km/hを叩き出したのが、ドイツのメッサーシュミット Me209V1だ。本連載の第23回に登場した、ドイツのメッサーシュミット Me109戦闘機をベースにした、速度記録専用機がMe209V1である。この記録は第二次世界大戦前の1938年4月に公認されたものだが、レシプロエンジンのプロペラ機としては、その後30年間も更新されることがない傑出した記録だった。この速度が第二次世界大戦の戦闘機の目標になったことは、言うまでもない。
Me209V1のエンジンは、これも以前に紹介したダイムラー・ベンツDB601Aという、Me109戦闘機のエンジンと同じもの。倒立V型12気筒液冷エンジンは、正面から見るとハ型の独自スタイルで、日本でも公認コピーされたのだが、当時の技術では実戦運用できなかった。いくら高性能とはいえ、当初1100hpのDBエンジンをどのようにチューンして、離陸時1800hp、瞬間最大出力2300hpも捻出したのか? 詳細はわからない。ただDB601といえば、当時最先端だった機械式燃料噴射装置と無段変速式過給機を装備し、後期は水メタノールブーストで1800hp超に達しているので、このあたりを先取りしたのかもしれない。
機体に関してはMe109Eと比較すると、元々エンジンをアルミ板で覆っただけのような小さな機体は一層絞られ、全長7.2m×全幅7.8mしかない。どちらも戦闘機に対して、なんと2mずつも短縮されているのである。エンジンは同じなので、ズングリして見える。また空力を考慮して操縦席を大きく後に移設し、その後方に短い主翼と全長、強大なプロペラトルクによる操縦性悪化を緩和するため「十字型尾翼」が採用されている。機体表面もMe109系の特徴であるエンジンカバー左側面の過給機用インテークを除くと、機首下面のオイルクーラーや、主翼下面ラジエター等の補器がなく、冷却を翼全体の放熱で行うという空力徹底主義だった。
速度記録専用機は、改造なんでもありのモンスターマシン
元来、速度記録機は「直線番長」。ベース機とかけ離れた大改造が当然で、それは現代のレーサーでも同じだ。第二次世界大戦後期、エンジン大型化や過給機の進化で2000hp超のレシプロエンジン戦闘機が登場するが、755.13km/hの記録は破られることなく、大戦終結と同時に速度記録の主役は黎明期のジェット機に移った。
しかし、記録樹立から30年を経た1969年、エアレースが盛んだったアメリカで、レーサー「コンクェスト1」が、776.45km/hの新記録を達成した。
ベース機となったのは戦闘機グラマンF8F-2 ベアキャットで、そのエンジンはF4U コルセアや、P-47 サンダーボルトなどで有名なプラット&ホイットニーのR-2800 星型18気筒45.9Lエンジン。2250hpだったものを3100hp超にチューンされ、1970年代まで現役だった攻撃機AD-6 スカイレーダーのプロペラが移植されていた。
この後も、第二次世界大戦末期の戦闘機P-51やF8Fなどをベースにしたレーサーの記録更新がいくつか続いたものの、F8F-2をベースにした「レアーベア」が1989年に出した850.26km/hを最後に、現在も破られていない。
レアーベアのエンジンは、先述の攻撃機スカイレーダー用ライトR-3350 星型18気筒の54.6Lに換装され、ノーマルでも2700hpという強大なものを推定4000hp近くまでチューンしているという。プロペラはターボプロップ機のロッキードP-3 オライオンのものが移植された。まさに史上最速達成のためなら何でもありの改造だ。
ちなみに、プロペラ先端の回転速度が音速域に達すると衝撃波を発生し、急激にエネルギーが奪われる。また、低空で競われる速度記録レースでは、密度の高い空気による抵抗も厚い壁になっている。(文 & Photo CG:MazKen)