いよいよ秋に鈴鹿で日本GPが開催されることになる1987年、ホンダはウィリアムズとロータスにエンジンを供給。とくに前年にコンストラクターズタイトルを獲得したウィリアムズはチャンピオン候補の筆頭にあげられていた。(写真:金子 博)

シーズン中盤からの連戦連勝でこの年16戦9勝をあげる

1986年に初のコンストラクターズタイトルを獲得したものの、ドライバーズタイトルを逃がしたウィリアムズ・ホンダは、1987年、FW11の発展改良型であるFW11Bを投入する。モノコックから新たに作り直された完全なるニューマシンだったが、前年に好成績をあげたFW11の良さを受け継ぐ、ウィリアムズらしい手法によるものでもあった。

エンジンでの大きな規定変更といえば、ターボエンジンにポップオフバルブが採用されたことがあげられる。ポップオフバルブとは機械的にターボチャージャーの過給圧を抑える装置で、過給圧は最大4バールと決められた。燃料総量規制でもホンダをはじめとしたターボパワーの増大を抑えられないための措置だった。

ところが、この規制もホンダに有利に働いた。ライバルたちがその対応に遅れる中、ホンダは吸気温度コントロールシステムを導入。吸気温度を制御することで燃料の充填効率を上げることに成功した。また、ディストリビューターレスのダイレクトイグニッション方式を採用したことで、異常燃焼に対してより細かな制御が可能となり、圧縮比を7.4から8.2へ引き上げ、過給圧を抑えられようと、予選仕様では1000psオーバーというパワーを絞り出した。

一方、ウィリアムズFW11Bの改良点は主にエアロダイナミクスにあった。ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルというドライバー布陣でのぞんだ1987年のウィリアムズ・ホンダは、シーズン序盤こそアラン・プロスト(マクラーレン・TAG)や、この年から同じホンダ製エンジンを搭載するロータスのアイルトン・セナに敗れるレースもあったが、シーズン中盤から連戦連勝を記録。16戦9勝、12ポールポジションという圧倒的な成績で、2年連続のコンストラクターズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルも日本GPの予選でマンセルがクラッシュし決勝を欠場したことにより、ネルソン・ピケにもたらされた。

念願のダブルタイトルを達成したホンダは、翌1988年シーズンからエンジンの供給先をマクラーレンとロータスにすることを発表、1983年終盤から活動をともにし、ダブルタイトルを獲得したにもかかわらず、ウィリアムズとホンダのコンビはこの年限りとなった。

画像: ポップオフバルブで最大過給圧が4バールに制限され、自然吸気エンジンの最大排気量が3500ccに引き上げられても、ホンダのターボエンジンの優位性は変わらなかった。

ポップオフバルブで最大過給圧が4バールに制限され、自然吸気エンジンの最大排気量が3500ccに引き上げられても、ホンダのターボエンジンの優位性は変わらなかった。

画像: 優勝3回ながら2位7回と抜群の安定感でドライバーズタイトルを獲得したネルソン・ピケ。

優勝3回ながら2位7回と抜群の安定感でドライバーズタイトルを獲得したネルソン・ピケ。

画像: 優勝6回、ポールポジション8回を記録しながらリタイアが多く、チャンピオンを逃したナイジェル・マンセル。

優勝6回、ポールポジション8回を記録しながらリタイアが多く、チャンピオンを逃したナイジェル・マンセル。

ホンダF1第2期のバックナンバー

ウィリアムズ・ホンダFW11B 
Williams Honda FW11B(1987)

エンジン: Honda RA167E
●形式:水冷80度V6DOHC24バルブ+ツインターボ
●総排気量:1494cc
●ボア×ストローク:79.0mm×50.8mm
●圧縮比:未発表
●最高出力:1050ps以上/11600rpm
●燃料供給方式:PGM-FI

シャシ:Williams FW11B
●デザイナー :パトリック・ヘッド
●車体構造;カーボンファイバーモノコック
●ホイールベース:2845mm
●トレッド前/後::1778/1625.6mm
●サスペンション:ダブルウイッシュボーン+インボードスプリング
●タイヤ前/後:12-13/16.5-13インチ
●燃料タンク :195L
●トランスミッション:縦置き6MT
●車体重量:540kg

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