自動車メーカーの多くは、ブランドを象徴する歴史的アイコンを持つ。ポルシェにとって「917」は、耐久レースの世界での活躍を物語る数字。同時に、様々な技術革新をもたらした奇跡のナンバーが今、ここに集う。(Motor Magazine 2019年8月号より)

917のテクノロジーに関するありとあらゆる事象を網羅

自動車を題材にした映画は数多い。だが、自動車そのものが主役級の役割を果たした映画はそうはない。その代表的な作品と言えるのが、スティーブ・マックイーンが製作/主演を務め1971年に公開された『栄光のル・マン』だ。舞台となったのは1970年のル・マン時間レース。そこでポルシェに初の総合優勝をもたらし、強烈なインパクトを残したのが、ポルシェ917だった。

その第1号は、1969年3月のジュネーブモーターショーでワールドプレミアを果たした。以来、半世紀が過ぎたことを記念して、5月14日から9月15日まで、シュトゥットガルトのポルシェミュージアムで開催されているのが『50Years of the Porsche917-Colours of Speed-』と題されたた特別展である。

ポルシェ917は、当時のグループ4の年間生産台数が50台から25台に引き下げられたのを受け、モータースポーツ部門責任者だったフェルディナント・ピエヒ氏の肝入りで開発された。

今回の特別展では10台の917各モデルを含む14台の展示車両、エンジンやタイヤなど様々なメモラビリアを駆使してその歴史を振り返るとともに、5年間のモデルライフの中でどのように進化し、その技術がどのように後世に活かされていったのかが、わかりやすく展示、解説されている。

まず注目したいのが、ブースの入り口に展示されている第1号車、917-001だ。このクルマは長年にわたり70年のル・マン優勝車の姿でミュージアムに展示されていたもので、18年にレストアが施されジュネーブモーターショー出品時の姿に戻された。それだけでも彼らの特別展にかける意気込みがうかがえるというものである。

意外に思われるかもしれないが、初期の917は操縦性に問題を抱えており、決して成功作とは言えなかった。当時はポルシェ自体の経営状況も思わしくなく、マシン開発に専念するためにワークス活動を外部に委託することに。 

ここで手を組んだのが、ガルフ石油をメインスポンサーに据え活動していたライバル、ジョン・ワイア(JW)チームだったのである。彼らは最初のテストで不調の原因が空力にあることを突き止め、ポルシェに進言。それによりウエッジシェイプ&ショートテールボディの917Kが生まれた。

画像: 歴代917が集合。ひとくちに「917」と言っても様々なモデルが。

歴代917が集合。ひとくちに「917」と言っても様々なモデルが。

貴重な優勝車たちが集い、技術革新への先鞭を伝える

この特別展では3台の917Kが展示されている。1台目は1970年のル・マンで優勝した917-023そのもの。2台目は翌年のル・マンで5335.3kmという最長走破記録を打ち立てて優勝した917-053。そして70年、71年シーズンにJWチームが使用したガルフカラーの917-014である。

このうち917-023は、70年の優勝後に売却され個人オーナーの間を転々(最長期間所有していたのが日本のマツダコレクションだ)としたこともあり、ミュージアムに展示されるのはこれが初めて。しかも70年と71年の優勝車の2ショットは、当時でも実現しなかった貴重なもの。これを見るためだけでも、ドイツまで足を運ぶ価値がある。

この他にも、ル・マンを舞台に繰り広げられた空力開発の足跡、排気量無制限の北米カンナムシリーズで大排気量アメリカンV8に対抗するために開発されたターボエンジンの進化の歴史(後の911ターボへ繋がる)など、917がポルシェに多くの経験と技術をもたらし、その後の発展に大きく寄与したことが、様々な視点を駆使して紹介されている。

感じられるのは、どんな困難や難題にぶち当たっても目的を遂行しようとする人々の粘り強さと、自身の歴史と向き合い正しく残していこうと努力するポルシェミュージアムの真摯な姿勢だ。時を隔てて繰り広げられる、しつこいまでの完璧主義こそが「耐久王ポルシェ」の原動力だということを実感できる特別展だった。(文:藤原よしお)

画像: 50周年を機に69年の発表時の姿にレストアされた917-001

50周年を機に69年の発表時の姿にレストアされた917-001

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