SKYACTIVテクノロジーと魂動デザインで新たなファンを獲得している近年のマツダ。一方で、世界で唯一量産に成功したロータリーエンジンとその搭載車に今でもただならぬ愛情を注ぐ人たちがいる。そんなオーナーと貴重な愛車を一週間連続でご紹介! 第一日目は、世界初の量産ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツ、しかも知る人ぞ知る「マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」仕様とオーナーの登場だ。(取材・文:増田 満/写真:伊藤嘉啓)
画像: マラソン・デ・ラ・ルート仕様のコスモスポーツとオーナーの久保田秀行さん(56歳)。

マラソン・デ・ラ・ルート仕様のコスモスポーツとオーナーの久保田秀行さん(56歳)。

マツダ(東洋工業・当時)がロータリーエンジンを開発するのに要した時間は、実に6年。当時の西ドイツ、NSU社がヴァンケル研究所と開発したロータリーエンジンは夢のエンジンと呼ばれたほど優れた構造だった。

そのため数多くの自動車メーカーが技術提携して開発を進めたものの、量産化に至ったのはマツダのみ。いかに多くの努力が積み重ねられたかは割愛させていただくが、まさに社運をかけた開発劇だった。

だからこそ、完成したロータリーエンジンを載せる車体は特別なものでなければならなかった。そこでマツダは既存の車種に載せるのではなく、ロータリーエンジン専用車としてコスモスポーツを開発、1967年に発売することとなった。

市販されたコスモスポーツは世界初のロータリーエンジン搭載量産車になった。それゆえ耐久性を疑問視する声が多く、中にはロータリー否定論まであった。そこで、それらのネガティブなイメージを払拭するため、マツダが選んだのはレースに参戦することだった。

1968年、ドイツのニュルブルクリンク・サーキットで開催された耐久レース「マラソン・デ・ラ・ルート84時間耐久レース」に2台のコスモスポーツが参戦したのだ。レギュレーションによりボディはストック状態と規定され、エンジン本体の改造も厳しく規制されていたので、吸気をペリフェラルとサイドを組み合わせたコンビネーションポートに変更してウエーバーキャブレターをセットした状態で出走している。

レースでは80時間目までは4位と5位につけていたが、1台が脱落。残る1台が総合4位という成績を残している。ロータリーエンジンの耐久性を見事に証明したのだ。

画像: ロータリーエンジンには否定的な意見も少なくなかった。なかでも耐久性がやり玉に挙がることが多かったが、それを否定すべく出場した1968年のマラソン・デ・ラ・ルートで総合4位に輝いた。耐久性に問題がないことを実証して見せたのだ。

ロータリーエンジンには否定的な意見も少なくなかった。なかでも耐久性がやり玉に挙がることが多かったが、それを否定すべく出場した1968年のマラソン・デ・ラ・ルートで総合4位に輝いた。耐久性に問題がないことを実証して見せたのだ。

その筋では有名なマラソン・デ・ラ・ルート仕様車

この記念すべきコスモスポーツを再現したのが、今回ご紹介するクルマだ。オーナーの久保田秀行さんはコスモスポーツに20代の頃から乗り始め、コスモスポーツ・オーナーズクラブにも所属するベテラン。ウエストレーシングが1987年に製作した12Aロータリーエンジンを搭載するWEST87Sも所有するロータリーマニアだ。

画像: カラーリングだけでなくラジエターグリルに装着される大型ランプまで当時と同じもので再現されたマラソン・デ・ラ・ルート仕様のコスモスポーツ。後期型の1968年式をベースにしている。

カラーリングだけでなくラジエターグリルに装着される大型ランプまで当時と同じもので再現されたマラソン・デ・ラ・ルート仕様のコスモスポーツ。後期型の1968年式をベースにしている。

画像: 黒く塗装した純正ホイールがスポーティな印象。ボディサイドとテールエンドに描かれたMAZDA 110Sはレースでのエントリー名。平成2年に個人売買で手に入れた車両をオーナーの久保田さんがモディファイしている。

黒く塗装した純正ホイールがスポーティな印象。ボディサイドとテールエンドに描かれたMAZDA 110Sはレースでのエントリー名。平成2年に個人売買で手に入れた車両をオーナーの久保田さんがモディファイしている。

マニアな久保田さんなので、コスモスポーツが初めて出場したレーシング車両への思いは強かったのだろう。マラソン・デ・ラ・ルート仕様を再現するためコツコツとパーツを集めていた。キモになるのはラジエターグリルを塞ぐように装着される大型ランプ。専用ステーを介して装着されるのだが、これを国内で探しても見つかるものではない。

そこでインターネットにより海外から個人輸入している。また専用ステーはワンオフ製作することで解決。ボンネット上の整流板も作り出すことで再現したのだ。

画像: バンパーステーが入る位置に専用ステーを取り付け、左右に2つずつマーシャル製ランプを装着した。ランプやカバーはヨーロッパから個人輸入したもので、ボンネット上の整流板はワンオフ製作している。

バンパーステーが入る位置に専用ステーを取り付け、左右に2つずつマーシャル製ランプを装着した。ランプやカバーはヨーロッパから個人輸入したもので、ボンネット上の整流板はワンオフ製作している。

エンジンは当時のレーシングカーに倣ったコンビネーションポートによりチューニングしている。本体の10A型ロータリーエンジンで問題となるアペックスシールは、なんと3mm厚の金属から製作したものに変更。ウエーバー48IDAキャブレターでセッティングしてある。これによりパワーアップと耐久性を両立したものになり、現役当時よりも速いコスモスポーツが出来上がったというわけだ。

10A型エンジンはオーバーホールする際に3mm厚の金属でアペックスシールを製作して組み込んだ。ウエーバー48IDAキャブレターでセッティングしてあり、クーラー・コンプレッサーを使っても問題なく走るという。

肝心のカラーリングは当時の資料が少なく苦労したと思われるが、かなり忠実に再現されている。ボディサイドにあるMAZDA110Sというのはレースのエントリー名。今に続くマツダの伝統となった数字の車名は、この時に生まれたのだ。

MARCHALやShellのステッカーなどは当時の写真などから起こしたもので、色合いなどに配慮されたもの。黒いホイールは純正。本来ならシルバー塗装とメッキのホイールカバーで構成されるが、ホイールカバーを外して黒く塗装した。これだけで雰囲気はガラッと変わるのだ。

ロータリーエンジン復活を強く望んでいる久保田さんは、このコスモスポーツで各地のイベントに参加している。実車を見る機会は意外に多いので、旧車イベントをこまめにチェックしてみるといいだろう。

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