日産、久しぶりのDOHC復活、GT-Rの夢をもう一度
日産 スカイライン2000RS:昭和56年(1981年)10月発売
昭和48年(1973年)にケンメリGT-Rが生産中止になって以来、日産のラインアップからDOHCエンジン搭載車は姿を消していた。そして二度にわたる石油ショックや厳しい排出ガス規制を乗り越え、ようやくハイパワーを追求する余裕が生まれた後も、ターボエンジンの登場こそあったが、DOHCエンジンの登場には至らなかった。
トヨタとのCM合戦でも、いつも突かれるのはDOHCエンジンの不在。日産ファンは、何かと悔しい思いをする時代が続いたのである。中でも、往年のGT-Rの栄光に思いを寄せていたスカイライン・ファンは、一刻も早いDOHCエンジン搭載モデルの復活を待ち望んでいた。
しかし、昭和56年(1981年8月)にフルモデルチェンジを受け6代目のR30型へと発展したスカイラインは、同年10月ついにDOHCモデルをデビューさせた。フルモデルチェンジ当初は、相変わらずL20型ターボがハイパフォーマンスグレードに搭載されていたが、その2カ月後にFJ20Eというブランニューのパワーユニットを搭載したRSが登場したのだ。
FJ20Eは2Lの直4に、気筒あたり4本のバルブをもつ16バルブヘッドを搭載。ツインカム王国を誇ったトヨタも、当時ラインアップしていたのは2T-G、18R-G、5M-Gといった2バルブDOHCだったので、これは大きなアドバンテージになった。
またカム駆動は一般的なコッグドベルトではなく、ダブルローラーチェーンを採用していた。過酷なモータースポーツ(とくにラリー)での信頼性を考慮すると、コッグドベルトよりも優れていると判断された結果である。
燃料供給には、シーケンシャル・インジェクションと、エンジンを総合的に電子制御するECCSが組み合わされた。最高出力は150ps/6000rpm、最大トルクは18.5kgm/4800rpm。まさに堂々たるスペックを引っさげてのDOHC復活だったのである。
ただ、GT-Rの復活を望む人にとっては、いかに4バルブDOHCと言えども、4気筒というのが少々納得がいかなかったようだ。車名がGT-Rではなく、RS(レーシング スポーツ)とされたのは、メーカー側でもGT-Rとは異なるコンセプトのホットモデルであることを意識したためのようだった。
サスペンションは、箱スカからの伝統となった、前:ストラット/後:セミトレーリングアームによる4輪独立懸架。このころから普及し始めた60偏平タイヤの装着も意識したセッティングのために(ノーマルは195/70HR14のミシュランXVSだった)、サス全体の剛性やキャパシティは余裕をもって設計されていた。
また室内のスイッチでダンパーの減衰力を2段階に調節できるアジャスタブルショックアブソーバを採用したので、通常走行に差し障りなくハードなセッティングが可能になっていた。
1983年2月になると、FJ20Eはさらにパワーアップするためにターボを装着したRSターボをラインアップに加える。圧縮比を9.1から8.0に落として過給を加えたFJ20ETエンジンは、最高出力で40psアップの190ps、最大トルクで4.5kgmアップの23.0kgmを発生。これは2.8Lのトヨタ5M-GEUと比べ、最大トルクでほぼ対等、最高出力では20ps上回る強力なスペックだった。実際の性能計測でも、214.6km/hの最高速度と、14.93秒の0→400m加速というのは、当時最強と呼んでいい性能だった。
さらにその1年後の1984年2月には、スカイライン・シリーズのマイナーチェンジが実施され、RSターボにはインタークーラーが装着されてRS-Xへと進化する。それによって最高出力は205ps/6400rpm、最大トルクは25.0kgm/4400rpmとなった。徹底して高出力を目指したジャジャ馬マシンだけにアクは強いが、逆に熱狂的なファンを数多く作り出すことになったのも事実である。
また、1983年8月からRSシリーズは超薄型ヘッドランプを採用したグリルレスのフロントマスクとなった。通称「鉄仮面」と呼ばれるのは、この後期型のタイプを指す。
スカイラインHT 2000RS 主要諸元
●全長×全幅×全高:4595×1665×1360mm
●ホイールベース:2615mm
●重量:1115kg
●エンジン型式・種類:FJ20E型・直4 DOHC
●排気量:1990cc
●最高出力:150ps/6000rpm
●最大トルク:18.5kgm/4800rpm
●トランスミッション:5速MT
●タイヤサイズ:195/70HR14
●価格:217万6000円